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今回は、1浪で東京大学理科2類に合格。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻を修了後、外資系資産運用会社に26年半勤めた玉井英行さんにお話を伺いました。
「浪人は、自分の人生で最初の挫折だった」と50代になった今、振り返る玉井さん。
浪人を決意した理由から、その経験が長い人生でどんな意味を持ち続けてきたかまでを伺いました。
中学受験は“失敗”も、優秀な子だった
玉井さんは愛知県碧南市で生まれ、10歳の頃に父親の仕事の都合で大阪府枚方市に引っ越しました。父はミツカンに勤め、母は近鉄百貨店でパートとして働いていました。
1歳上の姉はピアノをはじめとした音楽に打ち込み、中学受験で聖母女学院に進学。その姉の姿を横で見ていた玉井さんは「受験というものがあるらしい」と気づき、自ら受験に臨むことになります。
小学6年生の時、玉井さんは塾にも通わず、学校の授業の延長線上の感覚で清風南海と洛南の2校を受験しました。結果はどちらも不合格。しかし洛南から「成績が優秀だったため、高校受験の際は優遇扱いになる」旨の通知が届きます。まともな受験勉強をしていないのにその評価を得たことは、彼の中で自信につながりました。
一方でその時期、仲の良かった小学校の友人が受験勉強をしっかり積み重ねたうえで東大寺学園に合格していきました。
「彼も自分も小学校では同じ『優秀』という括りだったんですが、受験のレベルでいうと天地の差がありました。自分が落ちたのは受験の対策をやっていなかったのだから当たり前だと実感し、受験勉強とは学校の勉強とは全く別次元のものだと気が付き、公立中学に入ったら『今度こそは』と『受験勉強』に取り組みました」

