TCVそのものが、亡命と離散のなかで子どもたちを保護し、次世代に文化と歴史を継承するために作られた教育共同体だからです。
公式サイトによれば、TCVは1960年5月17日にダラムサラで最初の難民児童を受け入れ、その後、学校と住居を備えた共同体へと発展していきました。亡命社会にとって歴史教育は、単なる知識伝達ではなく、自分たちがどこから来て、なぜ今ここにいるのかを理解するための基盤でもあります。
そのため、今回参照したTCV側の歴史教材では、チベット史そのものが中心に据えられ、1959年の出来事も「なぜ多くのチベット人が難民になったのか」を理解するうえで欠かせない出来事として位置づけられていました。
中国との関係も、国家統合の一場面としてではなく、チベット社会の側が経験した断絶や喪失として描かれています。ここでは、1959年は周辺的な事件ではなく、歴史を分けた節目として扱われているのです。
中国の教科書で描かれない1959年
では、中国側の教材はどうでしょうか。
中国の高校歴史課程標準では、「統一的多民族国家」や「中華民族多元一体」が重要な学習目標として掲げられています。さらに、西蔵、新疆、南海諸島、台湾などを研究テーマに設定し、「中国の不可分割の領土」として歴史的に理解させる探究活動も例示されています。
つまり、チベットは独自の歴史主体として詳述されるというより、中国という国家の形成と統合を説明する枠組みのなかに置かれているのです。
ここでとりわけ重要なのが、1959年の扱いです。少なくとも今回確認した中国側の教科書では、1959年にチベットで大規模な反中国の蜂起が起こったことを説明する記述を見つけることができませんでした。
中国国内で用いられている教科書・参考書をすべて網羅的に確認したわけではありません。したがって、「中国のすべての教科書に記述がない」とまでは言えません。
しかし、ラサを中心に始まり、ダライ・ラマ14世のインド亡命と亡命社会の形成につながったほど大きな出来事であるにもかかわらず、少なくとも私たちが調べた範囲では見つけられませんでした。
