しかも、中国側の課程標準では、1959年のチベット蜂起そのものへの明示的な言及は確認できませんでした。前面に出ているのは、少数民族の歴史を中国全体の統合史へ接続する視点です。
言い換えれば、中国側の教材は、チベットが中国に反発してきた歴史を強調するよりも、多民族国家としての中国がいかに形成され、維持されてきたかを教える方向に重心を置いているようにも解釈できるかもしれません。
もっとも、TCV側の教育も、単純に中国を「悪」として描くことだけを目的にしているわけではありません。
TCVの記事による、そこでは子どもたちが「家庭」に近い単位で暮らし、祈りや共同生活を通じて育つことが重視されています。難民の子どもたちに衣食住と教育を与えるだけでなく、精神的な安定や共同体意識を支えることも重視されているのです。
こうした環境を踏まえると、TCV側の教材は政治的主張のためだけではなく、離散した共同体の記憶と倫理を次世代につなぐ役割も担っていると見るべきでしょう。
教科書から「教育が背負っている役割」が浮き彫りに
教科書比較で見えてくるのは、どちらが単純に「正しいか」という話ではありません。むしろ重要なのは、それぞれの教科書が何を強調し、何を周辺化し、何を語らないのかです。
TCV側の教材では、1959年は亡命の原点として重く扱われます。対して、中国側の教材・課程標準では、チベットは「統一的多民族国家」の一部として整理され、1959年の大規模な反中国蜂起は、少なくとも今回確認した範囲では前景化されていませんでした。
この差は、歴史認識の違いというより、教育が背負っている政治的・共同体的な役割の違いを示しているように思えます。

