商業都市としての性格は戦後も続く。高度経済成長期には、駅前に小網屋、西友、京成百貨店、伊勢屋、丸井、イトーヨーカドーといった大型店が集積した。県南部で「買い物をする街」といえば、土浦だった。
その駅前だが、いま大型店は一つも残っていない。丸井跡地にはパチンコ店や居酒屋が入り、他の大型店跡もマンションに変わった。現在の駅前を見ても、かつて商業都市として栄えていたおもかげは残っていない。
土浦市の中心市街地の小売販売額は、最盛期の水準を大きく下回る。「追い越された街」という印象を持つ人がいるのも理解できる。
土浦はつくばを「支える側」と位置づけていた
しかし、土浦はもともと、つくばを「ライバル」として見ていなかった。
1975年発行の『土浦市史』には、筑波研究学園都市について次の記述がある。「土浦市は、新都市に対する消費都市としての役割を果たせるよう努力すべきであろう」。研究機関が集まる新都市・つくばを支え、買い物や娯楽の受け皿になる。「土浦がつくばを支えよう」。これが、当時の土浦が描いたビジョンだった。
