部活を引退してからは受験に専念するつもりだった兼子さん。しかし、3年生になって間もない頃、城西大学の赤羽周平監督から熱心なスカウトの声がかかります。
それまでにあった実業団からの誘いも断っていた兼子さんでしたが、何度も連絡をくれる監督の熱意に「一度話を聞いてみよう」と会いに行くことにしました。そこで彼女は、陸上を続けようと考えるようになります。
「赤羽監督には、『陸上は年齢に限りがある、一回辞めてしまうと簡単には戻せないよ』と言っていただきました。3年生になってからは結果が出始めましたが、それまでは思うような成績を残せていなかったこともあり、大学4年間は陸上をやろうと決めました。その時から、遠回りにはなってしまうけど卒業後は看護の道に進むと決めていました」
こうして高校の卒業を迎えた兼子さん。双子の妹はすでに看護学科に進んでいたこともあり、「2人で看護師になろう」という約束を胸に、兼子さんは城西大学に進学しました。
「大学女子駅伝2冠」大学トップランナーに
城西大学では経営学部マネジメント総合学科に在籍しながら、毎日朝練と午後練をこなす生活を送りました。アルバイト禁止、門限ありという部活中心の規律ある日々。最初の3年間は、「苦しかった」と当時を振り返ります。
「駅伝では出場機会に恵まれたのですが、貧血に苦しんで、トラックレースでは走れないことのほうが多かったです。
特に大学3年生の全日本大学女子駅伝では初めてメンバーから外れて、『なんで自分が走れなかったんだろう』と悔しい思いをしました。チームは3位になったのですが、うれしい反面、素直に喜べないところもありました。その経験があって、走りを一から見直すようになり、『次は自分が走って日本一に貢献しよう』という思いが芽生えました」
その言葉どおり、最高学年となった25年には、副主将として全日本大学女子駅伝と富士山女子駅伝の2冠を達成。4年間の集大成として、最高の形でたすきをつなぎました。
