アカデミー賞受賞の映画監督、山崎貴氏は「この事件はAIに惑わされる人類って意味でも、人間の力で元に戻さないといけない奴だと思う」「何より、このままじゃ娘さんが深い傷を負うことになりそうだし」とXに投稿して、話題を集めたが、同様に思う人は少なくないだろう。
「生成AI」が提示するのは選択肢であり、解決策ではない
そもそも、児童相談所の相談対象は18歳未満だが、阿部氏の長女は18歳で「ギリギリ対象外」だ。これは、ChatGPTの出力結果が間違っていたというよりは、入力情報が不足していたと考えるべきだろう。
いずれにしても、現時点においては、生成AIは解決策の選択肢の1つを提示するにすぎず、それを選択するかどうかは人間の判断であるし、それによって生じた結果も人間が負うほかはない。
児童相談所や警察が取った対応が過剰だったのではないか?という声もあるが、もし深刻な暴力行為を見逃してしまったら対応の不備の責任が問われることになるので、やむをえない対応であったと思う。
個々がよかれと思ってやった行為、正しい動機による行動が望まぬ結果を招いてしまう現象を「善意のパラドックス」と言うが、今回もこれが起きたと言えるだろう。
その初期段階に生成AIが介在していたことで、親子間のいざこざが「現代社会が抱える問題」へと昇華してしまった。
立川志らく氏が言うように、究極的には本事件は「ただの親子げんか」と言えなくもない。一方で、本事件は「教育やしつけをめぐる親の暴力の問題」「問題を犯した人物の処遇のあり方」「社会問題や人間関係の問題の解決における生成AIの有用性」といった、現代社会が抱える課題の論点が複数含まれていた。
そのために議論が拡大して騒動が一向に収まらない状況に陥ったのだが、阿部氏が適切な対応を行ったがために、個人的な問題が社会的な問題へと「格上げ」されたと見ることもできる。皮肉と言えば皮肉な現象であったと言えるだろう。
