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「歴史はどこから始まるのか」日本とアメリカの教科書"原爆めぐる景色の違い"が示す歴史教育の長い道のり

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教科書の一行が変わるだけで、次の世代が見る歴史の景色は大きく変わります(写真:Hakase/PIXTA)
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ところが、他国の教科書を開くと、必ずしも「人類史のはじまり」から丁寧に積み上げていくとは限りません。むしろ多くの国では、早い段階から“自分たちの歴史”へと焦点が寄っていきます。先史時代より先に、「自分たちの土地」「自分たちの共同体」の物語が始まるのです。

そこに透けて見えるのは、ある無言の前提です。すなわち、「歴史とは単なる知識の羅列ではなく、私たちの“帰属”を考えるためのものだ」という考え方です。

しかも、この「スタート地点の取り方」は、見かけほど簡単な作業ではありません。

たとえば植民地支配を経験した国では、「国家の歴史」を語る前に、植民地化される以前、その土地にいた人々がどんな暮らしを営んでいたのかを書き起こす必要が生じます。歴史は、いつでも“途中”から始められるように見えて、「何を起点にするか」を決めた瞬間に、その国の価値観や政治性が立ち上がってしまうのです。

教科書とは、その意味で、最初の一行からすでに「選択」の産物だと言えるでしょう。

もう一つ、他国の教科書と読み比べたときに浮かび上がる軸が、自国の歴史の「加害性」と「被害性」をどう扱うか、です。

同じ出来事でも、「何を強調し、何を薄くするか」で、読後感はがらりと変わります。歴史教育は、しばしば「中立であるべきだ」と語られます。ところが現実には、中立を装うことすら、容易ではありません。なぜなら、歴史はつねに、誰かの記憶と結びついているからです。

その難しさが、もっとも鮮明に立ち現れるのが、原爆投下の記述です。

日本とアメリカ―原爆をめぐる「景色の違い」

日本の教科書(あるいは少なくとも、多くの日本人が学校で受けた学習体験)では、原爆投下について「正しかった」「仕方なかった」と価値判断を断定するよりも、被害の実態や生存者の証言を丹念に置き、「何が起きたのか」を具体的に理解させる方向へと寄りやすい傾向があります。

ところが、海の向こうのアメリカの教科書をめくると、別の景色が広がっています。

研究者による比較分析によれば、アメリカの歴史教科書の多くは、原爆投下を「本土侵攻を回避し、米兵の命を救うために必要だった」という文脈で説明していることが報告されています(ERICデータベース所収の研究等を参照)。調査では、対象となった教科書の大半がこの「人命救済」の論理を採用していたとされます。

さらに、アメリカの高校教科書は「原爆投下という決定」そのものをめぐる論争を十分には扱えていない――そんな批判が、教育現場側からも提起されています(Association for Asian Studies "America's Hiroshima: Culture Wars and the Classroom" など)。

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