この問題に対して「これだからテレビ局は信用できない」「悪口や陰口はテレビでもう見たくない」といった意見もある。もちろん、その場を盛り上げるための安易な手段として誰かを悪く言うようなことは、倫理的にも許されるものではないし、テレビの演出としても適切なものであるとは言えないだろう。
しかし、この問題は単に「テレビが悪い」「陰口はよくない」という話だけで片付けることはできない。
毒舌、悪口、暴露は笑いの一形態
トーク系のバラエティ番組において、毒舌、悪口、暴露といったことは、昔から一つの定番企画だった。そこには、ゴシップ的な好奇心を満たす面白さもあるし、あえてタブーを破るという痛快さもあった。普段は表に出ない人間関係や本音が垣間見えることで、視聴者は番組に引き込まれる。予定調和のきれいごとだけでは生まれない緊張感が、トークにスパイスを与えることもある。
実際、関係性のある者同士の悪口は、バラエティにおいて魅力的なものとなる。たとえば、長年の共演歴があったり、互いに冗談を受け止め合える関係があったり、視聴者もそれを理解していたりするのであれば、「嫌い」「腹が立つ」「あの人は面倒くさい」といった言葉も、むしろ親しみや信頼の表現として機能することがある。
笑いのための毒舌とは、ただ相手を傷つけるために用いられるわけではない。言う側と言われる側の関係性、場の空気、言葉の強度、巧みな話術などが揃って初めて成立するプロフェッショナルな芸である。
今回の件では、その関係性が視聴者にも本人にも十分に共有されていなかった。鈴木とあのの間に、互いに悪口を言い合えるような明確な関係性があるようには見えなかった。しかも、鈴木本人は不在であり、その場で受けたり返したりすることができない。
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【中山功太の騒動とも重なる】
