2001年の「新しい歴史教科書をつくる会」の扶桑社版教科書が検定合格した際にも、中国・韓国の批判はさらに激しさを増しました。韓国政府は35項目の修正を要求し、中国も強く抗議しました。教科書の中身が、政治・外交問題として国境を越える典型的な事例となったのです。
東南アジアからも上がってきた声
批判は韓国・中国にとどまりません。シンガポール、フィリピン、インドネシアといった東南アジア諸国からも、日本の教科書記述に対する懸念は繰り返し示されてきました。
論点となるのは、戦時下の「大東亜共栄圏」をどう描くかです。「アジア解放」という側面を強調する記述に対して、当時の占領下で起きた残虐行為や資源の収奪といった事実に基づき、批判の声が上がっています。
東南アジアからの批判は、日本国内ではあまり大きく報じられない傾向にありますが、現地の戦争博物館や歴史教育の現場では、日本軍の行為についての記憶が今もなお生々しく語り継がれています。日本人観光客がふと立ち寄った博物館で、自国の教科書では読んだことのない展示に出会うというような経験を持つ読者もいるかもしれません。
以上のように、40年以上にわたって、日本の歴史教科書は外国からの視線にさらされ続けてきました。批判の中身には、正当なものも、政治利用の色濃いものも混在しています。すべてを真に受ける必要はありませんし、すべてを退ける態度も健全ではないかもしれません。
ただ確かなのは、日本の教科書を「日本人向けの教育文書」だと考えることは間違っているということです。隣の国の人々もまた、自分たちの教科書を読んで育ち、その物語をもって日本と向き合っています。両者の記述を並べたとき、何が同じで、何が違うのか。そこに目を向けることには意味があると考えられます。

