例えば、農業の機械化を見てみましょう。
かつて、農業における価値の源泉は「筋力」と「体力」でした。朝から晩まで鍬(くわ)を振り下ろし、肉体の限界まで働くことが「農家の仕事」でした。しかし、トラクターやコンバインの登場によって、この肉体的な苦役は機械へと外部化されました。
その結果、農家の仕事はなくなったでしょうか?
いいえ、なくなっていません。彼らの時間は、「今日はどの畑を耕すか」「どの品種を植えれば市場で高く売れるか」という、経営的な判断へと再配分されました。あるいは、余った労働力は都市へ移動し、工業やサービス業という新たな産業を支える基盤となりました。
AIもまた、この歴史の延長線上にあります。
問題は、「AIが何を外部化しようとしているのか」を見極めることです。
印刷機が登場したとき、写本職人はどうしたか
今の私たちが置かれている状況と非常によく似ているのが、15世紀の「印刷革命」です。
グーテンベルクが活版印刷機を発明する前、本を作るということは、人間が手書きで1文字ずつ書き写す「写本」を意味していました。当時の写本職人たちは、高度な教育を受けたエリートであり、美しい文字を書くことに誇りを持っていました。
想像してみてください。印刷機が登場した当初、彼らはそれをどう見たでしょうか。おそらく、嘲笑したはずです。
「あんな機械で刷った本には、魂がこもっていない」
「インクが滲んでいるし、レイアウトも美しくない」
「手書きの繊細なニュアンスは、機械には再現できない」
この言葉、どこかで聞いたことがないでしょうか。そう、現代の私たちが生成AIに向けている言葉と全く同じです。
「AIの書く文章は薄っぺらい」
「微妙な空気までは読めない」
「ハルシネーション(噓)をつく」
