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「少し首相に譲りすぎた」、減税めぐり田中角栄首相、福田赳夫蔵相が激突 石油危機のデジャビュ③

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田中角栄首相(左)と福田赳夫蔵相(1973年撮影)
談笑する田中角栄首相(左)と福田赳夫蔵相(1973年撮影)(写真:共同)

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1973年11月。急死した愛知揆一に代わり蔵相となった福田赳夫は、受諾の条件として首相の田中角栄に「日本列島改造計画」を断念させた。オイルショックによる物価高騰が懸念される中、田中の積極財政路線を軌道修正しようと考えたのだ。

ただ、1つ懸案が残った。田中が生前の愛知に検討を指示していた2兆円減税の取り扱いである。

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

インフレ下の大型減税に福田は当然ながら反対したが、大蔵省主税局は減税を機に所得税の税率構造を見直そうと考え、自民党税制調査会と詰めの協議に入っていた。このため主税局長の高木文雄(のち事務次官)は「もはや引き返せない」と福田の説得を続け、12月13日、田中と福田が国会内で直接会談し、最終方針を決めることになった。

福田は「乃公(だいこう)と角とで決着をつける」と言い残し、院内総理室へと向かった。当時、福田は自分のことを「乃公」と呼んでいた。「乃公いでずんば」の乃公である。

会談は午後7時に始まり、まず田中が福田の求める公共料金の引き上げ延期に同意し、公共事業費の圧縮も受け入れると譲歩した。公共料金問題には事務次官の相沢英之が「それは困る」と口を挟もうとしたが、受け入れられなかった。

福田「汝の執念か」 田中「そのとおり」

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