たどり着いた映画館で、その夜に観られる「いちばん上映時間の長い映画」のチケットを取った。
「せっかくなら、アルコールOKの少し良いソファ席で、ひとりビールを飲みながら映画を観よう」、そんな素敵なアイデアも思いついた。
映画がはじまると、音響が良すぎて疲れた頭には少し大きく感じたので、ノイズキャンセリングイヤホンをつけてちょうどいい音量に調整した。暗い映画館で心地よいふかふかのソファ……。「寝てしまってもいい」と思っていたけれど、時間の長さで選んだ映画は期待以上に面白くて、気づけば2時間半、静かにひとり映画を楽しんでいた。
自分を大切にできたうれしさ
パーティーに行かないと決める前は、「せっかく遠い街まで来て、同じ漫画家仲間と話せる機会なのに、行かないのはもったいないのではないか……」と、少し迷う気持ちもあった。
けれど映画館を出る頃には、行かなかったことへの後ろめたさよりも、自分を少し大切にできたような「静かなうれしさ」が残っていた。きっとこの夜の選択は、その時の自分にとても合っていたんだろうなと思えた。
そのあと駅で、パーティー帰りの友達たちと合流した。みんなも一日を終えて、すっかりくたびれていた。
「今日はソーシャルバッテリーがゼロだね」
そう言って笑い合い、帰りの寝台列車ではそれぞれ静かに過ごした。疲れたことを隠さなくてもいいし、無理に会話を続けなくてもいい。そう思えるだけで、帰り道まで少しやさしい時間になった。
こうして「ソーシャルバッテリー」という言葉を知ってから、私は自分の疲れ方を前よりやわらかく受け止められるようになった。
私はこれまで、できれば人と会う時には楽しい場ではちゃんと楽しそうにしていたいし、誰かと過ごした楽しい時間に対して「疲れた」という言葉はあまり使いたくないと思ってきた。
それは相手を大切にしたい気持ちでもあったのだけど、ときどきそのぶん、「できるだけ疲れた顔を見せない」という気合いまで必要になってしまって、人と会うことそのものを少し大きな用事にしてしまうこともあった。
だからこそ、フィンランドで出会った友達たちの自然体なあり方が、心に残ったのかもしれない。
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