こうした状況のなか、寿湯を経営する長沼家は、3代にわたって店を守り続けてきた。
「資料が残っていないので詳細はわからないんですけど、戦争で焼けて昭和27年(1952年)に再建したらしくて。それを昭和34年(1959年)にじいちゃんが買い取ったんです」(長沼亮三さん、以下の発言すべて)
戦後の混乱から立ち上がった一軒の銭湯を、亮三さんの祖父が買い取ったのが1959年。一時期、祖父は都内に9つもの銭湯を所有していたという。そこから父が銭湯を譲り受け、長男・秀三さんが「薬師湯」を、次男・雄三さんが「寿湯」を引き継いだ。
雄三さんは2代目として営業時間を延長し、洗い場・サウナ・お風呂場の改修や露天風呂の拡張をおこない、1日200人だった利用者を約550人まで伸ばした。
その雄三さんが親戚の「萩の湯」に移ることに伴い、2017年に寿湯の経営を引き継いだのが、プロボクサーを引退して薬師湯で15年修業していた三男の亮三さんだった。
寿湯を襲った"客離れ"
だが、寿湯もまた、廃業や休業による負の連鎖と無縁ではなかった。亮三さんが継いだ直後の耐震補強工事による2カ月近くの休業で、常連客が戻ってこない事態に見舞われたのだ。
「休業してしばらくの間、常連さんたちはほかの銭湯に行きます。だけど通うには少し遠いから『家のお風呂に入ればいいや』となってしまう。そうすると、もう銭湯に行かなくなっちゃうんですね」
一度「銭湯へ行く習慣」が途絶えると、多くの人がそのまま通うのをやめてしまう。亮三さんにとって、銭湯経営の厳しい現実を突きつけられた出来事だった。
遠のいたお客さんをどう呼び戻すか。模索するなかで亮三さんがたどり着いたのが、「家風呂にはない付加価値」の追求だった。
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【銭湯は、広い湯船で手足を広げてゆっくりつかれる】
