また、うつ病、不安障害、依存症、自殺など、絶望がもたらす問題も増加の一途をたどっている。薬物の過剰摂取による死はこの20年間で3倍以上に増え、ごく普通のアメリカ人が自殺する可能性もかつてないほど高まっている。
人類の歴史のほとんどすべての期間を通して、自殺というものは存在しなかった。私の高校時代の同級生は400人しかいないのに、卒業してから毎年1人から3人は薬物の過剰摂取か自殺で命を落としている。
絶望がもたらす問題により、アメリカでは2016年から2018年にかけて3年連続で平均寿命が短くなった。これほどの落ち込みは、1915年から1918年にかけて第一次世界大戦とスペイン風邪の大流行が重なった時期以来のことである。
たしかに現代の私たちは、食べ物を得るために苦労したり、毎日疲れ果てるまで動き回ったり、極度の空腹に耐えたり、悪天候に身をさらしたり――そんな不快さに向き合う必要はない。
だがその代わりに、快適さが生み出す副作用に向き合わざるを得ない。それはつまり、長期にわたり私たちの心身をむしばんでいく健康問題である。
失われた「生きる実感」
生活のため欠かせない重労働といった肉体的な苦労はなくなっているのに、ジャンクフードやタバコ、アルコール、薬物、スマートフォンなど、現実逃避の手段はいくらでもある。私たちは他人との絆や自然に身を置くこと、努力、忍耐といった、幸福や生きる実感をもたらしてくれるものから切り離されている。
何かが間違っていることは誰もが気づいているようだ。ある調査では、世界が良くなっていると考えるアメリカ人は6%にすぎない。それどころか一部の人類学者たちは、およそ1万3000年前までのほうが人類は幸せだったと主張する。その時代までは人びとの欲求はシンプルで、実現しやすく、「いま」を生きることができたからだ。
快適さや便利さは、もちろん素晴らしい。だが、それらが私たちにとって最も重要な、「幸福で健康な年月」という指標を必ずしも前に進めてくれるわけではない。
過剰に快適でつくり込まれた環境に身を置き、快適さの欲求にいつも従い続けていると、思いがけない副作用が生じ、人間として本来得られるはずの深い経験を見逃してしまうのかもしれない。
人類が進化のなかで適応してきた環境や、本来なら経験するようにできている出来事の多くが、現代の生活からは切り離されつつある。そのことは、間違いなく私たちを変えている。そして、その変化が良いほうに働いているとは言いがたいのである。
(翻訳:須川綾子)

