日本を動かす人々に愛された熱海は、恩恵をちゃっかり受けている。インフラの整備は、観光産業の基盤になった。
岩崎弥太郎は芸者を連れてきて「いない」
温泉街といえば芸者は欠かせない。
筆者は以前、熱海の芸者は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎が新橋から連れてきたと聞いていた。だが、史実にその事実はみつからなかった。
市制施行80周年記念に作成された『熱海温泉誌』によると昭和40年代、熱海には1000人以上の芸妓が在籍していた。しかし、江戸時代は風紀を守るため芸妓は禁止。明治時代に入り清元、長唄、常磐津に長けた遊芸師匠が登場する。芸者の始まりだ。
『静岡県下芸娼妓細見』(錦光堂)によると、1899年(明治32年)熱海町芸妓として二人の登録が記載されている。どちらも東京都の出身だ。岩崎弥太郎は1885年(明治18年)に亡くなっている。となると、岩崎弥太郎説は眉唾物かもしれない。
しかしそれとは別で、岩崎弥太郎は熱海と縁がある。3代将軍徳川家光公が建てた御殿跡を1878年(明治11年)に買い上げ、大部分を1883年(明治16年)に宮内省に提供したのだ。
熱海御用邸跡地は、熱海市役所の前庭(花ひろば)になっている。ブーゲンビリアの花が咲く頃は、真っ赤なアーチが登場する。岩崎弥太郎の残してくれた土地は、ジモト民たちの憩いの場として活用されている。
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【「徳川家康には足を向けて眠れない」】
