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ライフ #ジモトのアタリマエ──観光客の知らない知恵と常識

「元遊郭が肉豆腐屋に変身」「徳川家康と岩崎弥太郎の力も頂戴」…一度は廃れた街を復活させた熱海の"ちゃっかり力"

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熱海のビーチ
「東洋のナポリ」と呼ばれている熱海のビーチ(写真:masy/PIXTA)
  • 谷口 素子 取材ライター・コラムニスト
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日本を動かす人々に愛された熱海は、恩恵をちゃっかり受けている。インフラの整備は、観光産業の基盤になった。

岩崎弥太郎は芸者を連れてきて「いない」

温泉街といえば芸者は欠かせない。

筆者は以前、熱海の芸者は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎が新橋から連れてきたと聞いていた。だが、史実にその事実はみつからなかった。

市制施行80周年記念に作成された『熱海温泉誌』によると昭和40年代、熱海には1000人以上の芸妓が在籍していた。しかし、江戸時代は風紀を守るため芸妓は禁止。明治時代に入り清元、長唄、常磐津に長けた遊芸師匠が登場する。芸者の始まりだ。

『静岡県下芸娼妓細見』(錦光堂)によると、1899年(明治32年)熱海町芸妓として二人の登録が記載されている。どちらも東京都の出身だ。岩崎弥太郎は1885年(明治18年)に亡くなっている。となると、岩崎弥太郎説は眉唾物かもしれない。

しかしそれとは別で、岩崎弥太郎は熱海と縁がある。3代将軍徳川家光公が建てた御殿跡を1878年(明治11年)に買い上げ、大部分を1883年(明治16年)に宮内省に提供したのだ。

熱海御用邸跡地は、熱海市役所の前庭(花ひろば)になっている。ブーゲンビリアの花が咲く頃は、真っ赤なアーチが登場する。岩崎弥太郎の残してくれた土地は、ジモト民たちの憩いの場として活用されている。

岩崎弥太郎から受け継いだ土地は、花が美しい休憩場所になっている(写真:筆者撮影)

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【「徳川家康には足を向けて眠れない」】

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