機械の故障にも悩まされた。「機械が止まったり、お客さまが皿を取り損なって詰まったり。機械が止まると、慌てて直しにいきました」。修理費を軽減するため、家業を継ぐ前にコンピューター関連の仕事に就き、機械に明るい淺井社長が自ら修理することもしばしばあった。
「商売は“大衆”の喜び優先」受け継がれる創業者の教え
さらに、お客さまに楽しんでいただきたいと、回転レーンに皿を隙間なく敷き詰めることにもこだわったため、肉を準備するスタッフの人件費や、廃棄ロスがコストに跳ね返った。それでも、淺井さんは常に「大衆」の喜びを優先した。
「最近は回転寿司でも、タブレットなどで注文する『特急レーン』がメインになって、回転レーンはほとんど皿が回っていないことがありますけど、それじゃ、楽しくない。せやから、できるだけレーンを埋めるように並べています」
この「大衆的」であろうとする姿勢は、創業時から受け継がれているのだという。
「一升びん」(当時はホルモン専門店)は1962年、淺井さんの父である松雄さんが36歳の時に脱サラして開業した。名物は松阪牛のホルモンと、今も受け継がれる門外不出の味噌ダレ。
創業者夫婦は「商売は儲けようとしたらあかん」という考えのもと、お客さまの喜びのために労を厭わず働いた。
次ページが続きます:
【「一升びん」という店名に込められたもの】
