外国人労働者数は約230万人を超え、10年前(14年)の約68万人と比べて約3倍に膨れ上がっている(厚生労働省「「外国人雇用状況」の届出状況まとめ」24年10月時点)。「失われた30年」の間、コミュニティが形骸化し、若者の数が減り、地方は元気を失っていった。将来に希望が持てず、就労や福祉が可能な社会状況がいつまで続くかも分からない。
そこに来て、外国人が自分たちの生活圏に入り込み、トラブルを巻き起こす事態が生じると、自尊心を傷付けられた人々が防衛的になるのは火を見るより明らかだ。エッセンシャルワーカーなどの待遇を改善することなく、その穴埋めを外国人労働者で済まそうとする経済界や政治の意向が、結果的にそのような感受性を育む素地を作ってしまったのである。
騒動の根源にある国内要因に目を向けるべき
また、冒頭の高市氏の投稿に戻ると、賛意やさらなる規制強化を求めるコメントを一律に「排外主義」「ヘイト」と決め付けるのは、あまりにも乱暴であるばかりか、先の「言葉遊び」や相対的な地位低下という根本の問題を無視し、「移民肯定派」「移民否定派」というゼロ/100で互いを攻撃する闘争になりかねない。
特定の集団に否定的な属性を与える「他者化」は、移民をひとくくりにして「日本の秩序や文化を破壊する人々」と定義するのとまったく同様に、SNSで移民(政策)に異議がある、移民の増加を快く思わないと表明する人々を総じて「レイシスト」と定義することによっても生じる。これはまともな対話の機会を奪うことにしかならない。
SNSにおける外国人問題に関する議論の不毛さ、移民政策をめぐる保守層とリベラル層の隔たりがどこか「空中戦」のごとき様相を呈する理由がここにある。本物のレイシストとカウンターの人々の喧嘩はさておき、多くの市民感覚は、「治安は大丈夫なのか」「土地の売買を規制すべきなのでは」といった素朴な懸念なのだ。
外国人移住者の増加に伴い、人々は漠然とした不安を抱えている。しかし、それはいうまでもなく現在の社会や政治に対する不信とフラストレーションによって助長されている。中長期的には、外国人の定住が拡大することによって、地域の慣習や文化などが破壊されることを恐れて排斥運動に発展する可能性も否めない。
「移民受け入れ拡大」につながるという誤情報が広まり、撤回されることになった国際協力機構(JICA)の「ホームタウン」事業騒動は、日本がこの種の問題で「不安をあおられる」と驚くほど脆弱であることを露呈した。だが、それはすでに引火しやすい可燃性の不安という感情が人々の間に広がっているからにほかならない。
元アメリカ国家安全保障会議(NSC)のディレクターで、カーネギー国際平和基金のシニアフェローであるギャビン・ワイルド氏は、外国による破壊工作が国内の不満をどれほど利用しようとも、政策決定者は国内、つまり現実世界の場において民主主義への信頼を守ることに注力すべきだと主張した(From Panic to Policy: The Limits of Foreign Propaganda and the Foundations of an Effective Response/2024年春/Texas National Security Review)。
これは、外部勢力による影響工作についての見解であるが、ワイルド氏の「外国による破壊工作の試みに対する防衛策として反射的で軍事的な政策対応をとるのではなく、政策決定者はまず第一にこれらの国内要因に焦点を当てるべき」との考え方は、移民政策に関する世論の二分、社会の分断を抑制する最も適切な処方箋なのだ。
そもそも参政党のようなポピュリズム政党が躍進しているのは、自国の衰退が既存の政治体制のせいだと考えているからである。外国人政策をめぐる騒動は、結局のところ国内の問題が火薬庫なのであり、ここを手当てしないことには、わずかな火種にも国民感情が爆発しかねないということにもっと目を向けるべきではないのか。

