国際移動や社会階層論などを専門とする社会学者のファーラー・グラシア氏は、「日本政府は、外国人の永住を認める政策をとっていないことを理由に、自らを移民国家と呼ぶことに消極的」であると述べ、「それは単なる言葉遊びに過ぎない」と指摘した(移民国家日本:「移民受入れを認めない」国における移民受入れの現実/日立財団グローバル ソサエティ レビュー:日立財団)。
かつて、岸田文雄首相(当時)は2024年の参議院本会議で「政府として国民の人口に比して、一定程度規模の外国人やその家族を、期限を設けることなく、受け入れることで国家を維持する、いわゆる移民政策を取る考えはない」と明言する一方で、「共生社会を実現していくためには、人権に配慮しながら、ルールに則って外国人を受け入れ、適切な支援を行う」などと矛盾するような発言をしている。
専門家の間では、19年の在留資格「特定技能」資格の設定、24年の「育成就労」制度の新設は、外国人政策における重要な転換点と認識されている。特に「特定技能2号」は、熟練した技能を証明するための試験や実務経験が条件とはいえ、在留期間に上限がなく、家族帯同もできる、実質的に永住が可能になる仕組みであるため、「事実上の移民の受け入れ」とみなされているからである。
このように、人手不足の解消や技能の育成といった目的で、あくまで期限を定めて受け入れを行うという政府の公式見解と実態の乖離が疑念の大本にあるのだ。それは、極端な話、「労働者としての外国人」の存在を認めているが、「生活者としての外国人」の存在を認めていないと言っているようなものである。
そうすると、政府は、表向きは「移民を増やすつもりはない」という立場であるにもかかわらず、「(実際は)移民を増やす政策をしている」と国民は捉えざるを得ない。これが、政府に対する不信感を高める強力な起爆剤になってしまっている。
これは陰謀論などではないが、長年にわたる国策としての「言葉遊び」が、「政府は自分たちを騙して悪いことをやっている」という疑心暗鬼を招き、陰謀論的な思考をも活性化させることになったのである。
もう一つの不満ファクター「相対的な地位の低下」
しかも、この「言葉遊び」が真に罪深いのは、永住状態の外国人が増えているにもかかわらず、社会統合に対する国の支援が圧倒的に不足していることである。共生にかかるコストを自治体や一般市民に押し付けてきた面が多々あり、関係者の負担は限界に達しつつある。
すぐにでも取り組むべきことは、移民の受け入れを減らすにしろ増やすにしろ、政府が移民政策であることを公式に認め、包括的で長期的なプランを示すことである。
もう一つ重要なファクターは、相対的な地位の低下だ。長期停滞によってわたしたちの生活はどんどん貧しくなっている。慢性的な賃金低迷と物価高騰が主犯である。前述の「言葉遊び」の裏では、企業は安い労働力として外国人技能実習生などを積極的に活用し、非正規雇用の拡大と同じく賃金低迷に一役買ってきたところがある。
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【規制強化に賛同する声を「ヘイト」と騒いでも分断を呼ぶだけ】
