もともと高市首相は維新に「閣内入り」を呼びかけ、吉村氏も応じる考えを示していた。これに対して、自民党内の「維新外し」の空気に加えて、維新内にも「閣僚を出せば、国民からも“第二自民党”と見られて、党消滅の原因になりかねない」(若手幹部)との不安が広がり、混乱要因となりつつある。
そのため、政界関係者の間では「改造人事への吉村氏の対応が、維新の未来を左右する」との見方も広がる。
維新内部の空気を変えた豊中市長選
維新内での吉村批判の原因ともなっている、副首都構想実現のための住民運動の実態を振り返ると、同構想をめぐる「維新内部の利害対立の構図」(若手地方議員)が浮かび上がってくる。
そもそも副首都構想は、維新の創設者である橋下徹氏が維新代表だった時代から、一貫して「維新の看板政策」として掲げられてきた。「大阪の府と市の『二重行政』による無駄をなくすため、大阪市を廃止して特別区に再編する」という内容だ。
ただ、橋下氏が大阪市長だった2015年5月に住民投票を実施したが否決され、20年11月には松井一郎氏が大阪市長、吉村氏が府知事の体制で再度住民投票を断行したが、やはり否決された。2度目の否決が決まった際、吉村氏は「僕が政治家として(今後)都構想を掲げることはない」「再挑戦はない」などと明言していた。
しかし、24年10月の衆院選で維新が大敗すると、吉村氏は副首都構想の再検討に言及し始め、昨年10月の高市政権での「連立」入りを決めた際には、維新として副首都構想を政策合意の重要案件に掲げた経緯がある。
そうした中で維新内の空気を変えたのが、4月19日投開票の大阪府豊中市長選の結果だった。
同市長選では、吉村氏を支える大阪維新の会が公認した元市議が、自民党など与野党4党の推薦した現職に大敗。選挙活動に全力投球した維新の地元地方議員は「吉村さんの副首都構想が大きな争点になると思い、積極的に訴えたが、全然響かなかった」(大阪市議)と肩を落とした。
これに対して、「非維新連合」で出馬した現職は「豊中に大阪都構想は必要ない」「豊中のことは豊中市民で決める」などと訴えたことが圧勝の要因となった。
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【予兆は2カ月余り前にすでにあった】
