そのオープニングの日の出来事です。私は作家のF・M・バニエに誘われて、そのレセプションに出かけました。
その夜、私がどんな服装をしていたのかはまったく覚えていませんが、オレンジ色の蜜のような色の球形の飾りが連なったアール・デコのネックレスを着けていたのはたしかです。
宝飾店の入口の辺りが騒がしくなったかと思うと、長身のサンローランが入ってくるのが見えました。彼のミューズであるルルの店のオープニングですから、当然のことです。
するとサンローランは、招待客が押し寄せてきてもまるで気にも留めず、なんと奥の方にいた私のもとにまっすぐやってくるではありませんか。驚きのあまり、目を疑いました。
そして挨拶もなく、サンローランがいきなり私のネックレスを鷲掴(わしづか)みにしたのです。
「綺麗だ。なんて綺麗なんだ。あなたが羨ましい。こんな美しいものを所有しているなんて。素晴らしいことだ」と言いながら、じゃらじゃらと私のオレンジ色のネックレスを、少しの間もてあそんでいました。
獲物を見つけたハンターのような、その瞬間の彼の目の輝きは忘れません。まさにそれは雷の一撃だったのです。相手がサンローランだとしても、私のお気に入りを譲ることはできませんでしたが。
アルジェリアのオラン生まれ。その美意識は若い頃からずば抜けていて「ディオール」に入ると、1957年には21歳で主任デザイナーに。その後私生活で恋人だったパートナーのピエール・ベルジェと「イヴ・サンローラン」を創立。次々に幻惑的なコレクションを発表して、フランスのエレガンスの象徴となった。ダンディな本人の生涯は、映画『イヴ・サンローラン』などで映像化されている。
伝説的なパリのミューズ。フランスの伯爵家の娘。モード編集者だったが、ニューヨークでアンディ・ウォーホル、ロバート・メイプルソープ、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートンのモデルに。1968年にパリでイヴ・サンローランと出会い、それ以来サンローランのミューズとして、彼にインスピレーションを与え続けた。その後ジュエリーのデザイナーとなる。美貌だけでなく、忘れられない雰囲気を持っていた。
自分だけの宝物に誇りを持つ
モダンな宝飾類にはあまり関心のない私ですが、アンティークのものには目がないのです。私が何よりも大事にしているのは、ポール・ポワレの華やかなアール・デコのネックレスです。
これもやはりヴェネチィアのファッション界主催のパーティーで、肩出しの黒いロングドレスに、そのネックレスを着けていたら、当時イタリア版「ヴォーグ」の編集長だったフランカ・ソッザーニの目に留まり、「素晴らしいジュエリーですね」と声をかけられました。
「ポワレです」と言うと、「傑作だわ」と言ってくれました。
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【「真冬のホワイトジーンズは、最高」】
