昨年10月に101歳で死去した村山富市元首相の「お別れの会」が4月20日午後、都内のホテルで開催された。高市早苗首相や多くの歴代首相ら約450人が参列して、故人の冥福を祈った。
ただ、2時間足らずの会は、故人が心底大事にしていた「平和憲法」をめぐって、現在の政界における複雑な分断と対立も映し出す結果となった。
多くの人が慕った故人の人柄を反映して、ほとんどの参列者は穏やかな表情で献花し、遺族とのあいさつでは笑顔も見せていた。その中で、高市首相は主催者らの故人をしのぶあいさつが終わった直後に入場し、あいさつ抜きで献花をして30分足らずで退出した。
これに対して、参列者の間では「耳に痛い話は聞きたくないので、儀礼的な顔見せだけにした」(自民党長老)と揶揄する声が広がった。同長老は「多くの参列者による、高市政権の右傾化への危惧や反発の空気がにじみ出ていた」と述懐する。
語り継がれる「村山談話」と「自衛隊合憲」
村山元首相の政治家人生を振り返ると、同氏は旧社会党の党首だった1994年6月末に、70歳で自民、社会、新党さきがけの3党連立政権で、社会党としては戦後2人目の首相に就任。96年1月11日に退陣するまでのほぼ1年半の在任中は、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、大災害や大事件への対応に忙殺されたが、自民党の閣僚らとの緊密な協力体制で何とか乗り切った。
その一方で、戦後50年の節目となった95年8月15日の「村山談話」発表と、それに先立つ94年7月20日の国会での「自衛隊合憲」表明が大きな反響を呼び、今なお「村山政治」の真骨頂として語り継がれていることも、誰もが認める事実だ。
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【2つの英断が世間に与えた影響】
