だが、高市首相にとって「『村山談話』はもとより、村山氏が心の拠り所とした『平和憲法』の存在が、高市政権の行く手を阻む大きな壁」(自民党幹部)であることは否定しようがない。
だからこそ、「お別れ会でも、高市首相は時間的に河野氏らの式辞を聞くことは避け、献花だけでそそくさと退出することで、自らの心情を表したのではないか」(政治ジャーナリスト)という受け止めも広がっていた。
折しも、翌21日は高市政権発足から半年の節目の日だった。政府はこの日に合わせたかのように防衛装備移転三原則の運用指針を改定。国産装備品の輸出を「救難、輸送、警戒、監視、掃海」に限定する「5類型」の制約を撤廃することを決めた。
具体的には、戦闘機や護衛艦など殺傷・破壊力のある装備品を原則として輸出できるようになり、「特段の事情」があれば、例外的に戦闘当事国への輸出も認めている。武器輸出を厳しく制限してきた日本の防衛政策は、大きな転換点を迎えた形だ。
村山政治の対局を歩む高市政権の行く末
こうした高市首相の政権運営や政策決定の対極にあったのが村山氏の政治行動でもある。永田町では「20日のお別れ会と21日の三原則見直し決定は、過去と現在の日本政治の変転ぶりを際立たせた」(中道改革連合幹部)との声が広がる。
三原則改定を決めた高市首相は、その後に首相官邸で記者団に対して「平和国家としての歩み、基本理念を堅持することにまったく変わりはない」と強調。木原稔官房長官も記者会見で「望ましい安全保障環境を創出し、継戦能力を支える(国内)産業基盤を強化するため、防衛装備移転を戦略的に推進する」として、大転換ではないと説明した。
しかし、多くのメディアも含め、政界関係者の間では「そもそも、こんな重要なことを国会できちんと論議せずに決めること自体が、政権運営の体をなしていない」という批判も相次いでいる。「トンちゃんが生きていたらどんなに憤慨するか」(社民党幹部)との声は広がるばかりだ。
