社会党の「党是」ともされた自衛隊違憲論を大転換した自衛隊合憲論は、国会での代表質問での答弁で表明したものだ。その際、村山氏は背筋を伸ばし緊張した表情で「専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものであると認識する」と述べ、議場内は大きくざわめいた。
これを受けて、社会党は同年9月の臨時党大会で、自衛隊合憲に加えて日米安保条約堅持を認めることになった。「その大転換がその後の社会党(現社民党)の衰退につながった」(社民党幹部)ことも否定できない。
また、いわゆる「村山談話」と呼ばれる「戦後50周年の終戦記念日にあたって」は、中国や韓国への謝罪問題について「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と大きく踏み込んだ内容で、国内外に大きな反響を広げた。
大衆と共に歩んだ“市民の宰相”
こうした一連の首相としての決断は「常に 大衆とともに 大衆に学ぶ」という座右の銘を踏まえたものとされる。
「お別れ会」では、村山内閣を副総理兼外相として支えた河野洋平元衆院議長(元自民党総裁)が呼びかけ人代表としての式辞で、村山氏の最大の功績として「村山談話」を挙げ、「いま政治は再び激動期にある。大国が次々と戦争に手を染め、帝国の世に逆戻りした感じだ」との危機感を示した。そのうえで「日本の政治の良心、市民の宰相を失ったことは大きな損失だ。あなたがたどった平和への歩みを私たちが受け継いでいく」と遺影に語りかけた。
また、遺族代表としてあいさつした次女の中原由利さんは、儀礼的あいさつに続けて生前の村山氏の生きざまに触れ、「『お父さんはなぜ怒らないの?』と尋ねると、『人の弱みを知ったとき、それを攻撃するのではなく、弱みを守ってやりなさい』と言われた」との思い出を語り、参列者の多くが深くうなずいていた。
まさに、「生来の飾らない人柄から、政界だけでなく国民からも『トンちゃん』の愛称で親しまれた村山氏の穏やかな笑顔が脳裏に浮かんだ」(参列者)ことは間違いない。
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【「お別れの会」翌日の大転換】
