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ライフ #80億分の1コマ

衰退するアルゼンチンの公園で触れた「85歳の誇り」—日本の未来を重ねた取材で、心に突き刺さった"重い問い"とは

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アルゼンチンの公園で、ピザを分け合いながら自分の人生を語る85歳の老人(イラスト:堀江篤史)
  • 泉 秀一 ノンフィクションライター
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「国のために戦ったことと、命を落とさずに帰ってきて、家族にまた会えたこと。この2つが、俺の誇りだ」

戦争を賛美する気配は微塵もなかった。ただ、自分が国のために身を投じたという事実と、生きて帰れたという事実を、静かに、しかし確かに誇りに思っている。そういう語り口だった。

自分を、自分に対して誇れるか

2人のおじいさんの話を聞きながら、私は1つの問いを突きつけられているような気がした。

「あなたは、自分を、自分に対して誇れるか」

2人に共通していたのは、自分の人生を、他の誰でもない自分自身に対して誇れるということだった。おそらく、人は自分を誇るために何かをやるわけでもないのだろう。

あのおじいさんは、深夜の公園で泣いている母親を見た時、「これが自分の誇りになる」とは考えていなかったはずだ。ただ、目の前に困っている人がいて、自分にできることがあった。

ボカ地区の公園で、ピザを分け合いながら自分の人生を語る85歳の2人は、とても穏やかだった。派手な成功物語ではないが、自分の人生を自分に対して「よくやった」と言える。その静かな充足感が、ベンチに座る2人の背中から滲み出ていた。

私は、自分を誇れているだろうか。少なくとも今の時点で、「これが誇りだ」と言えるものは、思い浮かばない。むしろ、自分の浅はかさや軽さのようなものを毛嫌いしながらも、それと正面から向き合うことを避けている気さえする。

日本に帰ってからもあの公園での出来事が頭から離れないのは、あの2人の生き方が、今の自分の未熟さを、浮かび上がらせるからだろう。

そして、ふと思う。30年後、40年後に、自分はどこかの公園のベンチに座り、自分を誇れているだろうか。

その時に胸を張っていられるような何かを、自分は積み重ねられているのか。その問いの答えはまだ見えぬまま、もう1年という月日が流れている。

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