「今までいろいろ学んできたのは、老後を夫と一緒に過ごしたくないと思っていたから。夫が定年退職したら離婚する――だから自立しようとしていた部分もあって」
山本さんはそう振り返る。しかし、ここから事態は思いもよらない方向に動き出す。
「税金ちゃんと払っておいて」秘密の告白に夫が残した言葉
2014年、状況は突然変わった。夫が肺がんと診断されたのだ。
「複雑でしたよね。どう表現したらいいのか……」別れようと思っていた相手が、重い病気になる。うまく言葉にできない感情だったという。
病状が進むにつれ、がんは脳へも転移した。現実にはないものを見るようになった。窓から飛び降りようとしたり、車いすで病院を抜け出そうとしたりすることもあった。
この状況でも山本さんは「あまり特別に接するより、普通でいたほうがいい」と自分に言い聞かせていた。
ただ一つ、胸の奥にしまっていたこと、まだ夫に話していない秘密のことだけは気がかりだった。ある日思い切って、病院のベッドにいる夫に打ち明けた。
「私、カメラマンになっちゃってるんだよね」
「……税金、ちゃんと払っておいてね」
夫は少し間を置いて答えた。「夫らしい返事だった」と山本さんは笑うが、もしかしたら背中を押してくれたのではないだろうか。病気が発覚してから、夫に連れられて年金事務所へ行ったこともあったという。
「窓口の人に向かって、主人が言ったんです。『自分がいなくなったら、この人は生きていけますか』って」
遺族年金の説明を受けるためだった。そのとき初めて、山本さんは夫が自分の「その後」を心配していたことを知った。
いよいよ病状も進み、医師から余命宣告を受けた日、病院の前で写真を撮った。プロになって初めての夫の撮影だった。夫はカメラの前で何も言わず撮られていたという。山本さんは正面ではなく、斜め上を向くように促して、目線を外したところを撮影した。
これには理由があった。山本さん自身の兄が亡くなった時に、義理の姉が言った言葉を思い出したからだ。遺影は、亡くなった人のためではなく、残された人のためにあるのだと。
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【山本さんに起きた異変】
