育児と家庭中心の生活だったが、持ち前の活動的な性格が少しずつ顔を出してくる。幼稚園のPTAでは、自らイベント企画を提案し、人を巻き込んで行事を率いた。
だが、子どもが大きくなるにつれ、山本さんの中に「焦り」が生まれてきた。東京の社宅暮らしでは専業主婦が当たり前で、それに疑問を持つこともなかった。けれど家を買って埼玉へ移ると、家庭を持ちながら生き生きと仕事したり、学び続けたりする女性たちが目に入るようになる。
ふと蘇るのは、神戸製鋼の退職時に先輩からかけられた一言だった。「東京は勉強できる場所がいっぱいあるよ、羨ましいな」――その言葉がずっと心の底に沈んでいて、「いつか私も何かやりたい」という思いを静かに温め続けていた。
そして、息子が13歳になった頃、山本さんはパートを始める。
「運転免許しかない、何もない自分がだんだんコンプレックスになってきて。とにかく100万円稼ごうと思ったんです」
なぜ100万円なのかと尋ねると、即答した。
「学びに投資するためです」
言葉どおり、引っ越し荷造りの仕事で2年かけて100万円を貯めた。そしてブライダル、テーブルコーディネート、フラワーアレンジメント、カラーコーディネート――。とにかく次々に学び、憧れていた結婚式場へ転職した。
ところが、「みんな高いお金をかけているのに、どれも同じ披露宴に見える」と演出に違和感を覚えるように。そこから次第に仕事がつまらなく感じ始めた頃、夫の福岡転勤が決まり、結婚式場を3年で退職。
また生活環境が変わることになる。それでも山本さんの中で、「自分の道を諦める」という選択肢はなかった。
55歳、押し入れに隠したカメラ
福岡移住後、思いがけない仕事が舞い込む。ブライダル経験を知る友人にホテルの「食空間コンサルティング」を依頼されたのだ。「来た仕事は断らない」そんな思いで引き受けた山本さんだったが、ホテルのホームページを見た瞬間、思わず首をかしげた。
「ターゲットに全然刺さっていない。これじゃ人が来るわけない」
当時、インターネットはまだ普及の途上にあった。しかし「これからは絶対、ホームページの時代になる」と直感し、福岡のWebクリエータースクールの門を叩く。
次ページが続きます:
【ブログが人生の分かれ道だった】
