法念さんは東京都で、父親はサラリーマン、母親は教師の家庭に生まれ育ちました。
小さい頃は人見知りをする子どもだったそうです。
「幼稚園の頃は泣き虫で、元気な男の子が戦いごっこを仕掛けてきたら、びっくりして泣いちゃうような子どもでした。数字が好きで、電車に乗るときに暇つぶしに電卓を持っていって、それで遊んでいたりしました」
公立の小学校に通っていた頃にはすでに勉強はよくできたようで、小さな塾に通い、中学受験をします。第1志望は「文化祭に行って楽しそうだった」と語る麻布中学校・高等学校でしたが、本番では7校を受験してすべて合格。無事麻布に進学を決めます。
学校に入ってからあまり勉強しなくなった
麻布に入学後は、卓球部に入り、「学年で1番練習に出ていて、1番強かった」と語る法念さん。自治が活発な学校だったため、1個上の先輩が作ったお料理研究会にも入って、のちに自ら部長になって部活化させたり、文化祭と運動会の実行委員もするなど活発な学校生活を送っていました。
歌が大好きだったこともあり、中学時代からラップを聴き始め、高校2〜3年生になってから自分でもラップをするようになったそうです。
自由な校風のもと、活発な学校生活を送っていた法念さん。しかし、勉強の方は学校に入ってからはあまりしなくなってしまったそうです。
「最初は頑張っていたんですが、中だるみで、中3〜高2の期間はほとんど勉強をしませんでした。だんだん成績が下がっていって、高2の最後の実力試験では250/300位くらいまで落ちました」
最高学年になる際も、赤点が多すぎて仮進級扱いだった法念さん。「先生が出した課題を出すことで、ギリギリ進級させてもらった」と語ります。
しかし、高校2年生の冬くらいにははっきりと東京大学を目指すことを決めました。
「それまでも環境のせいもあって漠然と東大を目指そうと考えていました。高校2年生になってもやっぱりはっきりとは決まっていなかったんですが、進振り(進学選択)がすごく魅力的で、当時は法学に一番興味があったものの、なるべく自分の選択肢を減らさない進路を選ぼうと考え、東大の文1を目指すことに決めました」
「高3からはめちゃくちゃ勉強しました」と語る法念さん。しかし、最初はなかなか追いつかず、受けた東大関係の模試はほとんど1番下の判定でした。
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【センター試験では838/900点】
