後世で「金ケ崎の退き口」と伝わる、見事な退却劇をやってのけた秀吉。
『徳川実紀』によると、このときに徳川家康も殿として秀吉をサポートしたという。事実かどうかはわからないが、家康が信長とともに朝倉討伐に参戦し、長政の裏切りによって、危険にさらされたのは確かだろう。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康――。後世で天下人と呼ばれる3人が同じ戦場にそろうという奇跡が起きたのが、金ヶ崎の戦いである。
そこには兄の秀吉と運命をともにした秀長の姿もあったはず。信長にとって苦い敗戦となったが、豊臣兄弟にとっては、家臣団のなかで頭角を現す、またとない機会となった。
スナイパーに命を狙われるもかすり傷で帰還
「殿さえご無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、朝倉軍と浅井軍に挟み撃ちされそうになると、信長を京に逃がすため、秀吉がそう高らかに宣言するシーンがあった。実際の信長も秀吉の活躍によって、無事に京に帰還している。
だが、そこからさらに岐阜に戻ろうとしていたときに、事件は起きた。5月19日に伊勢方面に抜けようと、信長は千種街道を通過。「千草越え」の最中に、二十数メートル先から狙撃されたのだ。スナイパーの正体は、杉谷善住坊である。
『信長公記』で、次のように説明されている。
「鉄砲の名手だった杉谷善住坊という者が、六角義賢に頼まれて、千草山中の道筋で鉄砲を構え、十二、三間の距離から、信長を容赦なく二つ玉で狙撃した。しかし、天は正しい者を守るもので、弾丸は信長の体を少しかすった程度だった」
2発の銃弾で命を狙われた信長だったが、かすり傷のみで済んだというから、強運だ。信長は岐阜に帰国し、朝倉・浅井を打つべく準備を進めた。
「信長暗殺」に失敗した善住坊はその場から逃走。逃亡生活を送るも、命を落としかけた信長の厳命によって、徹底した捜索が行われたようだ。近江国高島郡堀川村の阿弥陀寺に隠れていた杉谷善住坊を、領主の磯野員昌が発見。捕縛されてしまう。
菅屋長頼と祝重正の二人を奉行とし、千草山中で狙撃に至った経緯を尋問させたうえで、信長は熾烈な刑罰を杉谷善住坊に与えている。『信長公記』には、次のようにある。
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【穴を掘って中に善住坊を立たせ…】
