ホルムズ海峡封鎖危機で強まった日本の「アメリカ頼み」/対米追従を選んだのは日本国民だ/高市早苗と田中角栄の違い

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マルクスは、窮地に陥った恐慌のときの資本家たちの自分勝手な論理をこう描いている。

「すべてがうまくいく間は、――資本家階級は仲間のように、各自投資した額に応じて、共通の獲物を分配する。しかし、利潤の分配ではなく、損益が問題となるやいなや、自分の損を減らし、他人へそれを転嫁しようとする」(第3巻、15章、3節、的場昭弘『超訳「資本論」第3巻』157ページ)

資本家階級を国家に置き換えれば、国際協調が簡単なものではないことはわかる。だからこそ、自国で独自にエネルギー資源を確保する義務は怠ってはならないのだ。

田中角栄の狂奔と資源多極化外交

田中角栄の狂奔は、当然だったともいえる。そしてそれは、それまで続いていた日米協調という枠組みさえも突破することでもあった。

的場昭弘『超訳「資本論」』第3巻

73年10月6日の第4次中東戦争(~73年)勃発以後、日本は到来した「狼」に翻弄される。アラブ諸国は中東戦争で反米を主張し、アメリカに与する敵対国と与しない非敵対国に分けていた。その結果、フランスやイギリスのような友好国には石油が与えられることになったのだ。

日本はアメリカに追随する限り敵対国だったのだが、このとき日本は石油を抑えられたアメリカメジャーを離れ、非敵対国へと180度、舵を切った。それは日本が、国連でパレスチナ自治の支持に回り、アメリカを敵に回したためだ。

アメリカを中心とする石油メジャーから買い付けられなければ、産油国の非石油メジャーから購入するしかない。しかし、日本はそれまでは敵対国として認定されていた。

アメリカのメジャーからも現地の産油国からも石油が買えない日本は、パニック状態に陥った。そのパニックの一つがトイレットペーパーの買い占め騒ぎといったものだった。石油不足とトイレットペーパーの不足は、本来関係のない問題なのに、パニック状態に陥った人々は「われもわれも」と買い占めに動いたのだ。

このパニック状態は国家においても同様であった。紛争が始まって1カ月後、日本は石油を求め、アメリカとの関係を維持しながら多面的外交を模索した。田中角栄は資源多極化外交を模索したこともあり、こうした流れは政府も乗り気であった。当時日本の備蓄量は55日ぶん、1カ月半と言われていた。その限界に近付きつつあるなかで、アメリカの制止を振り切ってアラブ諸国とパレスチナ支持に向かい、アメリカの逆鱗に触れる。

73年11月にアメリカの特使として日本を訪れたキッシンジャーは日本による石油の抜け駆けを恐れ、日本側に釘を刺す。この会談は、戦後アメリカ従属の日本外交が、少なくとも石油資源に関してアメリカと協同歩調を取らない決意を伝えたことでは画期的なものであったと言える。

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