「4年の間に伊勢丹・長崎屋・西武・大丸が続々開店」→「30年足らずで全滅」…西東京にある"百貨店の墓場"になった街の実態

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しかし生き残れた理由は、単に業績が良かったからではなかった。そごうは黒字の子会社・関連企業が相互に債務保証し合い、赤字店舗でも他の黒字店舗が財務面で支え続ける仕組みを持っていた。

八王子店はこの仕組みに支えられて29年間踏みとどまれた可能性が高い(『販売革新』1985年)。その後2008年に30億円を投じてリニューアルを図ったものの、赤字続きで2012年に閉店となった。

西武跡地はマンション建設中(写真:筆者撮影)

なぜ八王子の百貨店は全滅したのか

百貨店が次々と閉店に追い込まれたのは、立地の問題や大型店同士の競合が重なり、飽和状態でのつぶし合いが背景にあった。しかし、それだけでは説明がつかない点がある。

なぜ、失敗が続いた場所に、これほど多くの百貨店が繰り返し出店したのか。なぜ先発組が消えても後発組が来て、後発組が消えてもまた次が来たのか。

一つ言えるのは、出店した側だけの問題ではなかったということだ。八王子に百貨店が根付かなかった理由は、まるき百貨店が開店する3年前に作られた、ある一冊の報告書に書かれていたーー。続く後編で詳しく解説する。

《後編はこちら↓↓》
「立川の半分しか売れない街」だったのに…6つも百貨店があった街・八王子の"高すぎる自己評価"が招いた悲惨な顛末
杉浦 圭 フリーライター

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すぎうら・けい / Kei Sugiura

金融機関を経てライターへ転身。東京都在住。全国各地を歩き、その土地ならではの魅力を発掘・執筆することをライフワークとしている。趣味は渋ビル探し。好きなビルは船場センタービル。note→https://note.com/muchimuchi_bmen / X→https://x.com/B0482472380869

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