「4年の間に伊勢丹・長崎屋・西武・大丸が続々開店」→「30年足らずで全滅」…西東京にある"百貨店の墓場"になった街の実態

✎ 1〜 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

甲州街道沿いに開業していた先発組(まるき・イノウエ・伊勢丹)が次々と閉店していった。駅前に開業した後発組より規模が小さく、大手の進出でローカル店としてのメリットがなくなってしまったことが主な原因だ。これにより商業の重心が甲州街道沿いから駅前へ移動し、「先発組のいた八日町・八幡町はゴーストタウン化した」(『販売革新』1978年)と言われている。

業界誌『企業診断』(1971年)によると、「八王子駅を降りて横山町〜八日町〜八幡町の15〜20分を歩いてみると、客足は漸減し、八幡町では半減した」という。大手の伊勢丹でさえ「沈没状態」と評され、1979年に撤退。世代交代が始まった。

1972年に「三多摩最大の本格百貨店」として鳴り物入りで登場した大丸だったが(『商業界』1972年)、甲州街道沿いに出店したため駅から最も遠い場所での営業を余儀なくされた。

その後、1983年のそごう駅前進出が致命傷となり、累積赤字50億円で1985年に撤退することになった(『実業界』1985年)。大丸にとどめを刺したのはそごうで、甲州街道組の壊滅はここに完成したことになる。

かつて大丸があった場所にはマンションが建っていた(写真:筆者撮影)
甲州街道沿いはマンションとマンションの間に年季の入った店が残っている(写真:筆者撮影)

駅前に集まっていた後発組の最終決戦

甲州街道組が消えた後、駅前に残ったのは西武とそごうだ。西武は23年持ちこたえたが1993年に撤退し、6つ存在した百貨店のうちそごうだけが最長の29年残った。

次ページそごうが生き残れた仕組み
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事