「4年の間に伊勢丹・長崎屋・西武・大丸が続々開店」→「30年足らずで全滅」…西東京にある"百貨店の墓場"になった街の実態

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八王子の百貨店史を追う前に、6つの百貨店を整理しておきたい。

・まるき百貨店(1960〜1968年):閉店後、甲府に本店がある岡島百貨店が入り「八王子岡島」として営業するも、1970年に閉店。現在はコンベンション施設。
・イノウエ百貨店(1963〜1971年)閉店後、八王子発祥のスーパー・忠実屋八日町店となり、現在はマンション。
・伊勢丹八王子店(1969〜1979年):甲州街道沿いに開業するも10年で撤退。
・西武百貨店八王子店(1970〜1993年):駅前で23年間営業したが、現在はマンション建設中。
・八王子大丸(1972〜1985年):出店時は市内最大の売場を誇ったが、累積赤字50億円で撤退。現在はマンション。
・そごう八王子店(1983〜2012年):29年間営業し、閉店後はセレオ八王子として現在も営業中。

このほか、緑屋・長崎屋・忠実屋・ダイエー・丸井など月賦百貨店や大型スーパーを含めると、1950〜1970年代の駅周辺には合計15店以上が集まっていた。俯瞰してみると、どの店も1〜3年ごとに開業しており、1960〜1970年代は八王子の出店ラッシュとなっている。

ここで気になるのが、その営業年数だ。まるき・イノウエ・伊勢丹は10年以内に閉店している。なぜ開業ラッシュが続くなかで明暗が分かれたのか。その答えは建物の立地に関係していた。

まるき百貨店跡地にできたコンベンション施設「八王子エルシィ」(写真:筆者撮影)

当初栄えていたのは駅前ではなかった

桑都・八王子の横断幕(写真:筆者撮影)

江戸時代から絹織物の集散地として栄えた桑都(そうと)・八王子。商業は駅から徒歩約15〜20分離れた横山町・八日町・八幡町といった甲州街道沿いを中心に発展してきた。1964年時点で甲州街道沿いには衣料・食品スーパーがすでに少なくとも7店舗あり(『日本スーパーマーケット名鑑1964』)、その中にまるき(1960年)・イノウエ(1963年)が飛び込んだ形だ。

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