「バブル崩壊、阪神淡路大震災でダメージ」「分譲で新陳代謝も進まず」…シャッターだらけ「兵庫の廃墟モール」衰退の理由

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同年5月には核テナントとして関西スーパーがオープンしたが、商業ゾーン売り場面積の約7割を占めていたダイエーが撤退し、しばらく空いていた影響は大きかった。

ミドリ電化はエディオンに変更されたのち、17年に閉店してしまった。

尼崎駅との活気の差

「出屋敷リベル」が廃墟化したのは核店舗であるダイエーの撤退が大きいが、出屋敷の商業の斜陽化は「出屋敷リベル」がオープンする前から始まっていた。

出屋敷は戦前は住宅地、戦後の高度成長期には闇市や臨海部にある工場へのターミナルとして栄え、昭和30年代までにぎわっていた。尼崎商業発祥の地ともいわれている。

しかし昭和40年代になり公害が問題視され、工場が停止・移転すると出屋敷は活気を失っていた。平成初期には「出屋敷は鉄の町、尼崎を支えた中心の街だった。買い物客でにぎわい、労働者のエネルギーに満ちあふれていた街も、南部の工業の地盤沈下とともに活気を失って久しい」といわれている(『日本経済新聞』1990年3月22日)。

現在の出屋敷の街を見ても、商業地として苦戦している様子がうかがえる。出屋敷駅周辺の商店街もシャッターが目立ち、閑散としている。

シャッターが目立つ出屋敷駅近くの新三和商店街サンロード。昭和40年代には、出屋敷の衰退は始まっていた(筆者撮影)

商店街は隣駅の阪神尼崎駅まで続いており、尼崎駅に近づくと見違えるように人通りが増える。

阪神尼崎駅に近い商店街は人通りが多い(筆者撮影)

阪神尼崎駅がターミナル拠点としてにぎわう一方で、出屋敷駅周辺は活気を失ってしまっているのだ。

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