「あれもこれもやり残した、とジタバタ死んでもいい」『完全自殺マニュアル』著者が60代でたどり着いた、「非効率な生き方」
「『効率がいい』とは、最終目標までより短い距離で行けるということです。けれども中高年になると最終目標自体が若い頃とは変わっている。もうこれ以上大きな夢は叶えられないのに、若い頃のままの価値基準で生きている人がどれだけ多いことか。
しかも年を取るほど思考を切り替える能力が衰えるので、同じことを続けてしまいがちになる影響も出てくるでしょう」
効率化を突き詰めれば、私たちの生活から充実感が消えていく。かつて鶴見氏は、効率を重視して駅まで自転車を使っていた。しかし現在は、あえて徒歩で通うようにしているという。
「中高年になると時間もあるし、健康が大きな目標になってきます。わざわざ用のない道を行くウォーキングをしているのに、なぜ駅には急いで自転車に乗って行くのかわからなくなりました。
そもそも人生の目的がもう大きくないのだから、目的のために時間を節約するより、過程自体を楽しみにしたほうがいい。歩くこと自体が目的であってもいいのです」
人生を効率よく片付けるべき課題のように扱うことは、自らの生を空白にしていく行為だ。あえて「非効率な徒歩」を選ぶことは、目的地への「手段」でしかなかった移動時間を、歩くこと自体を楽しむ「目的」そのものへと変えてくれる。
若者が「先住民」で、中高年は「移民」
効率の悪い中高年が「老害」として嫌われる背景には、社会が押し付ける、あるいは自ら演じてしまう「理想の中高年像」の呪縛がある。
孔子は「四十にして惑わず」「五十にして天命を知る」と説いたが、鶴見氏はこうした達観したイメージが現代では中高年の足かせになっていると考える。
「60歳になっても、イメージどおりの達観した中高年にはなりませんでした。内面は若い頃とまったく同じように動揺しているし、まわりもそんな人ばかり。それなのに中高年と言えば、儒教がつくった不惑のイメージくらいしかない。老賢人の素振りだけ求められるのは終わりにしたいです」





















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