国内でわずか2社に減少も、消えそうで消えない「モロッコヨーグル」。"薄利多売"でも3代・65年間生き残れた理由

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すぐに池田さんは複数のメーカーから植物油脂を取り寄せた。どのメーカーも狂牛病の風評被害を恐れて牛脂を使わなくなっていたが、何度目かの実験の末、「ここのメーカーのものをこれぐらい混ぜたら、ホイッピングが前のものと近くなる」という配合を見つけ出し、危機を脱した。

ところがその20年後、さらなる危機が襲う。世界的な健康志向の高まりにより、トランス脂肪酸を低減する必要が出てきたのだ。これに伴い、原料メーカーが「ロートランス脂肪酸」の油脂に切り替えたことで、再びヨーグルの食感が揺らいだ。

この時も、池田さんは試行錯誤した。半年もの時間をかけ、7〜8社もの原料メーカーから数種類の油脂を取り寄せて研究したという。

「あのフワッとした食感だけは絶対に残さなあかん。そうじゃなきゃモロッコヨーグルやない」

池田さんは、祖父と父が繋いできたモロッコヨーグルを再現することにこだわった。そうして幾度もの失敗を重ねた末、ようやく現在の食感を出せるギリギリの配合にたどり着いたという。池田さんが守ろうとしたのは、レシピではなく代々受け継ぐ「子どもが初めて食べた時の感覚」だった。

作業の様子
フタの密閉具合の確認、箱詰め、紐がけなど、製造には手作業の工程が多い(写真:筆者撮影)

リヤカーで闇市へ。戦後の混乱期に生まれた

サンヨー製菓のルーツは、終戦直後の混乱期にさかのぼる。初代社長は第二次世界大戦後の昭和20年(1945年)、人通りが多く、菓子や玩具の問屋街である松屋町にも近い大阪・西成区に居を構え、昭和34年(1959年)頃に「池田製菓」として事業を開始した。

物資不足の中、初代は夜な夜なリヤカーを引いて、闇市に材料の仕入れに向かっていたという。池田さんは、初代社長の祖父についてこのように語る。

「祖父は毎日、明け方に材料を山積みにして帰ってきていました。睡眠時間を削って取り組んでいたそうです」

事業を開始した当初は、棒状ビスケットを一斗缶に詰めて販売したり、チョコを絵の具のチューブのような容器に入れた「ソフトチョコレート」などを扱っていた。

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