『暮らしのおへそ』編集ディレクターが60歳を過ぎて手放した「褒められたい」の呪縛、「気にしい」が変わったきっかけ

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たとえば……。私は器が大好きで、作家もののお皿をコツコツと買い集めてきたけれど、興味がない人にとっては、「器にそんなお金を使うなんて信じられない!」となります。

あるとき、実家に姪っ子が遊びに来たときに、ボーナスで買ったという「カルティエ」の腕時計と、「エルメス」の「ピコタン」という名前のバッグを見せてくれました。どちらも数十万円という高級品。20代でこの高級品を買うという度胸に「ひょえ〜」と驚きました。

ハイブランドのバッグや時計を「うわ〜、いいなあ〜」と羨(うらや)む人もいれば、「私だったら、そこにお金は使わない」と一歩引いて見る人もいるかもしれません。

世の中の「価値」は、見方によってくるりとひっくり返る……。このことを知っておけば「褒められる」という呪縛から解き放たれるかもしれないなあと思います。

「褒められる」はとても不確かなもの

30代のころ、自分の時間のほぼすべてを費やしていた月刊誌の仕事がありました。企画からデザイン出し、原稿執筆、校正までを任されて、その出版社の社員のように毎日編集部に通い、朝から深夜までそこで仕事をしていました。

編集長から「この企画はおもしろくない」とダメ出しをされたら落ちこんで、「この特集はよかった」と褒められたら大喜び。なのに……。ある日突然その雑誌は休刊になりました。あんなにすべてを捧げて頑張ってきたというのに。しばらくは、呆然として泣き暮らしたのを覚えています。

上司に認められるように、と頑張っても、その上司が異動になれば、今までの努力は誰も知らなくなります。自分が関わった企画の評判が上々だったとしても、周囲の人は3カ月も経てば、その事実をすっかり忘れてしまいます。

つまり「あの人に褒めてもらうために」と頑張ったとしても、その人はやがていなくなり、私の人生すべてに責任をとってくれるわけではないのです。

こんな経験を繰り返していくと、少しずつ「褒められる」ということが、とても不確かなものだとわかってきます。私はいったい「誰に」褒められたかったのだろう? それによって得たものはなんだったんだろう?

もしかしたら、「褒められる」とは、一瞬で散ってしまう打ち上げ花火のように儚(はかな)いものなのかもしれません。

『あんぱん』で、もうひとつ印象的なシーンがありました。『アンパンマン』のミュージカルを企画したものの、チケットはちっとも売れない。当日も客席には10名ほどのお客さんしかいません。

でも嵩さんはこう言います。「この10人に喜んでもらえるように、頑張りましょう」。結局その後、開演間際に続々とお客さんがやってきて満席になったのですが。

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