強烈なトップダウン経営は大学に通用するのか? ニデック永守氏「第2の人生」に潜む強権的マネジメントの罠
中内氏は大学受験に失敗し、43年に応召。フィリピン戦線では虫を食べて飢えをしのぐ極限状態の中、手榴弾で瀕死の重傷を負い、死を覚悟した。そのとき頭に浮かんだのは、家族そろってすき焼きを食べる光景だったという。
九死に一生を得て復員した神戸は大空襲で焼け果てていた。この戦争体験が「よい品をどんどん安く」というダイエーの原点となった。57年、大阪・千林駅前に1号店「主婦の店ダイエー薬局」をオープンした。
3人に共通するのは、安定した家業の継承者ではなく、むしろ強い上昇志向とある種のコンプレックスを原動力として起業した点である。この背景は、猛烈な拡大志向と強烈なリーダーシップという共通の経営スタイルを生み出した要因の1つだったと考えられる。
「昭和イケイケ型トップ」の光と影
なかでも中内氏と永守氏の間には、さらに際立った共通点がある。中内氏は戦後の混乱期に、永守氏は高度成長期に起業した。同じ昭和という時代に、猛烈な働きぶりと強烈な個性で一代にして巨大企業を築いた。いわゆる「昭和イケイケどんどん型」である。
両者とも頂点に立った時期に大学を設立し、設立当初はその大学も創設者の栄光の反射光を浴びて輝いた。ところが、本業を映し出す鏡が曇りだすと、反射光が大学に届かなくなった。
1988年の流通科学大学開学から十数年を経た2000年代初頭には、ダイエーの業績悪化が顕在化し、創業者自身も批判にさらされるようになった。ダイエーの経営不振は大学の評価にも影を落とした。
奇しくも、流通大手イオン子会社のダイエー(本店・神戸市中央区)は2月27日、「ダイエー」「グルメシティ」などの屋号を「フードスタイル」に一本化すると発表した。30年までに、近畿圏にある187店舗の約8割で「ダイエー」の看板が消える。
永守氏の場合、ニデックの会計不正問題が京都先端科学大学の将来にどのような影響を与えるのか、今のところ見通せない。第三者委員会はパワハラ的風土が組織全体に忖度を蔓延させたと指摘している。強いリーダーシップと忖度の蔓延が表裏一体であることは、多くの組織で繰り返されてきた構図だ。
ダイエーとニデックの失敗を比較すると、その質は明確に異なる。会計規則違反が認定されたニデックは、違法性という問題を抱えている。片やダイエーの経営悪化は、スーパー事業以外への多角化、バブル期の積極出店と借入拡大、バブル崩壊による地価下落と不良資産の増大、さらに阪神・淡路大震災による店舗被害など複数の要因が重なって生じた。
ダイエーが主に構造的要因と外部要因による「経営破綻」であったのに対し、ニデックは会計不正が指摘された「不祥事」である。
創業者が設立した大学は、創業者の理念が反映される。しかし、理念が大学文化として定着するには、創業者の個性を超えた普遍性が必要だ。「実学志向」の慶応と早稲田が長く続いてきたのは、創立者が目指す教育方針が個人の哲学ではなく、社会に広く共有され得る価値観だったからである。
(後編に続く)
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