強烈なトップダウン経営は大学に通用するのか? ニデック永守氏「第2の人生」に潜む強権的マネジメントの罠

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近年の同大学の教育体制を見ると、もう1つの特徴が浮かび上がる。工学系の教育を英語で行うなど、留学生を積極的に受け入れる国際大学化の方向である。

結果として、大学は日本人学生中心の教育機関というより、海外からの理工系人材を育成する拠点としての性格も帯びつつあるように見える。ニデックが世界各地に製造拠点を持つ企業であることを考えると、この教育モデルが企業のグローバル人材戦略と連動しているとみる向きがあるのは当然だ。

このような教育内容を見ると、文部科学省が推進する実践的な高等教育や理系シフトにも合致していることから、追い風が吹いているようにも受け取れる。しかし、その一方で、ニデックの海外拠点向けに創られた「社内リーダー育成機関」、つまり、研修所ではないかという声も聞かれる。

海外に多数の製造拠点を持つニデックにとって、日本で工学・経営学を学んだ外国人材は即戦力になりうる。大学と企業が一体化した人材パイプラインという構造は、経営者ならではの合理的な発想ともいえるが、大学の公共性という観点からすると疑問が残る。

永守氏の手法は大学で通用するのか

不慣れな「異業種」での挑戦であっても、夢の大きさはニデックを世界的企業に育て上げたいと気勢を上げていた頃と変わらない。永守氏は「巨大な構想を打ち上げて、最初は大ボラのように見えても、だんだん実現していって中ボラにして、やがて普通の夢にして、最後は実現する」と常々語っていた論理を、学校経営でも貫こうとしたようだ。

もっとも、夢の実現のために組織に無理を強いるという手法は、学校経営で通用するのか。文科省の指導はあるとはいえ、私立大学はトップに権力が集中しやすい構造であり、そこに永守流マイクロマネジメントが持ち込まれる懸念は小さくない。

永守氏は学校法人の名称まで「永守学園」に変えている。オーナー色をこれほど鮮明に打ち出した時点で、大学内にもニデックと同様の力学が働き始めたと考えるのは自然だ。大学のガバナンスという観点からも、創設者の個人的影響力と教育機関としての独立性の間に生じる緊張関係は、避けがたい問題として浮上するだろう。

永守氏がマスコミから一斉に叩かれることはこれまでなかった。それどころか、京セラ創業者の稲盛和夫氏に続く京都を、さらには日本を代表する名経営者として祭り上げられようとしていた。

一方で、稲盛氏と永守氏を「京都型経営」の代表的事例と位置づける議論には、もう1つ見ておくべき側面がある。

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