広告契約ゼロでノイローゼ寸前だったニトリ会長の過去、"ダメ営業マン"が「たまたま選んだ家具業界」で天下を取った訳
そうなってからは、朝に営業所を出た後は喫茶店や映画館、パチンコ店で時間を潰していました。そして「今日もダメでした」と所長に報告しては怒られ、次第にノイローゼ気味に。
本来なら、3カ月、4カ月とノルマが達成できない場合辞めさせられてしまうところですが、ここを追い出されたら、私は職だけでなく住むところも失ってしまう。なので、住み込み人用の炊事や掃除も引き受けて、何とか居座り続けましたが、思い届かず、結局6カ月で解雇されたのでした。
失敗だらけ、職を転々。だからこそ訪れた転機
その後、履歴書を持って6、7社ほど回りましたが、就職先はなかなか見つかりません。
クビになった広告会社に頼み込んで、もう一度雇ってもらったりもしました。営業は無理なので雑用が主な仕事でしたが、変わらずミスは多かった。「君は成長しないな」と、結局半年でお払い箱です。
父の会社に戻ったりもしています。測量などの仕事を覚えて、入社から2カ月後には10人ほどの作業員を抱える現場監督になりました。しかし、作業員宿舎が火の不始末で全焼するトラブルが発生します。私は責任を取り、会社を辞めることになったのでした。
サラリーマンもダメ、土木の仕事もダメ。この先どうしたらいいのか、ますますわからなくなりました。またもや、地獄が目の前に広がったようでした。
どうしようもなくなった私は、大学時代の友だちに相談します。すると思いがけず、「お前、自分で商売をやってみたらどうだ」と言われたのです。もしかすると、その友だちの頭の中には、大学時代にアルバイトで稼いでいた私の姿があったのかもしれません。私は私で、自分で身を立てていくならうまくいくかもしれないと思いました。
そうなると動きは早いんです。父の会社が所有する40坪の土地と建物に目を付け、「ここで、自分の商売をやってみよう」と決心しました。これがニトリの始まりです。
家具店を選んだ理由については、何か深い考えがあったわけではありません。当時住んでいた一帯で誰もやっていない業種を探したら、家具店だけがなかった。それだけでした。家具の将来性や可能性なども何も考えていません。チェーン店という発想もなく、ただ食べていくための生業として家具販売を選んだだけ。でも、この選択が人生の大きな転機となりました。





















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