なぜ「何もない街」に文豪が集まったのか
今回訪れた東京都北区田端は、山手線の駅があるのに、なんだか無表情だ。「田端」とだけ聞いても、街の特徴が浮かんでこない。実際に改札を抜けて駅前ロータリーに立ったが、その印象は変わらない。目の前を都道458号が走り、それを見下ろすように、そっけない姿のビルが建っているだけだ。しかし、この街は日本文学史の観点から、無視できない場所でもある。
日本の近代文学の歴史を語るとき、大正時代の一時期の文壇を「田端時代」という言葉を使って表す人もいたらしい。明治の終わりから大正期を経て、昭和のはじめまで、芥川龍之介、室生犀星(むろう・さいせい)、菊池寛、堀辰雄、野口雨情、平塚らいてうなど、教科書レベルの文人たちがこぞってこの地に住んだ。
駅前すぐにある「田端文士村記念館(北区田端6-1-2)」を訪ねた。
多くの文人たちが住んだために、この界隈はかつて「田端文士芸術家村」と呼ばれた。田端文士村記念館はその歴史を今に伝えてくれる。研究員の白石顕子さんに訊いた。
「現在の田端は東京都北区なのですが、明治期は東京府下北豊島郡滝野川村大字田端でした。その頃は一面に田畑の広がるのどかな土地だったようです。でも、徒歩でも通える距離に東京美術学校(現・東京藝術大学)ができたので、美術関連の人たちが住むようになりました。
明治33年に画家の小杉放庵が下宿し、明治36年に陶芸家の板谷波山が転入し、1年3ヶ月をかけて窯を築きました。その後、波山を慕う芸術家が集まり、やがて文士たちも引き寄せられるように田端に住むようになったのです」





















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