地元住民に言われた通りに歩くと、田端銀座商店街の駒込寄りに「京呉服 きた浦(文京区本駒込5‐48-2)」はあった。半分シャッターが降りている。ガラス戸の中を覗くと、かなりのご高齢と思しき男性がガスコンロで炭の火起こしをしている姿が見えた。ガラス越しに目が合うと、男性は手招きして腰を上げた。
「コロナ以降は全然ダメでね」
戸を開けて「お仕事中に申し訳ございません」と挨拶をすると、「なんにも仕事はしてやしないよ」と、男性は笑った。「きた浦」のご主人・北浦久治さんは今年93歳になる。70年近く商った呉服屋は、2025年の暮れに閉じたのだそうだ。
「コロナ以降は全然ダメでね。呉服屋は辞めちゃったけど、今は近所の子どもたちのために店を開放している。パンとかお菓子を用意して、気軽に寄れる場所にしてるんですよ。なんにもしてないとボケちゃうからさ、少しでも街のためになればと思って、活動しています」(北浦さん)
街の歴史について聞くと、北浦さんは次のように話してくれた。
「田端銀座商店街もここらへんまで来ると文京区の本駒込なんですよ。このあたりは北区と豊島区と文京区の区境が集まってるから複雑なんだ。ここは昔は神明町っていってたんだけど、今は本駒込になった。以前は置屋がたくさんあってね。すぐそこの店も置屋だったけど、今はマンションが建ってるね。それこそ神明町だったころは、芸者さんも大勢いた。その当時はうちも儲かったね(笑)」
まったくの偶然だが、駒込三業地の生き証人に出会えたわけだ。
「住んでいる人がみんな気持ちのいい連中なんだよ。それがいいところだね。昔から住んでいる人も多いから気心が知れてるってのもあるね。商店街はちょっと寂れちゃったけど、おでん屋さんとか、自転車さんとか、元気に商売を続けている店もまだまだある。なにより静かだから、住むにはいい街ですよ」(北浦さん)
駒込三業地ができたのは、大正11年(1922年)。まさに田端文士村が栄えていた時代だ。こちらの三業地に通った文士もいたに違いない。
田端は、駅前の見た目だけでは評価しにくい街だ。強い名所やわかりやすい個性は前に出てこない。だが、文学史に残る土地の履歴があり、周辺には花街の記憶も重なる。商店街にはいまも地元の生活が残っている。山手線の駅の周辺としては落ち着きもある。華やかじゃないけれど、住むとちょっといい街であることは間違いなさそうだ。
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