84年に小田急電鉄に入社し、90年代後半から車両の設計に携わってきた鈴木さん。2000形との最初の関わりは、95年に登場した最初の2本のうちの1本「2052編成」の完成検査のときだった。
同編成は神戸の川崎重工業(現:川崎車両)が製造したが、検査のため現地に向かう予定の日が1月17日、阪神・淡路大震災の発生日だった。当然ながら当日は現地に行くことはできず、車両の搬入もJR線経由での輸送ができなかったため海路で運んだという。
鈴木さんはその後、2000形の「2次車」と呼ばれる3本目、2053編成の設計を手がけ、車両設計のキャリアを積み重ねていった。駆け出しのころに携わった2000形は「設計の師匠のような存在」だという。「鉄道車両の設計で、新しいことをやるのは相当勇気のいること。その中で2000形は、先輩が台車やブレーキなどさまざまな新しいものを取り入れた車両。あの時代のスピリットは今も生きているし、忘れないようにしたい」と鈴木さんは語る。
地道な活躍で存在感
最初の編成が登場してから約30年が経った2000形。登場時と比べて、外観上はLED式の種別・行き先表示器が3色からフルカラーに変わり、車内の座席には大型の「袖仕切り」を設置するなど、細かな変化はあるものの、大きく姿を変えることなく活躍を続けてきた。
現在は9本目の2059編成を除き、車体の青いラインがもともとの「ロイヤルブルー」よりも濃い「インペリアルブルー」になっている。9本目だけ変わっていないのは「張り替えのタイミングなどで、たまたまではないか」(鈴木さん)。
複々線区間で特急ロマンスカーや快速急行に追い抜かれつつ、各駅に停まりながら地道に走り続ける2000形。決して目立つ車両ではないが、優等列車が停まらない駅の利用者を支える足として、そして車両設計のスピリットを支える車両として、その存在感はドアの幅に負けず大きいといえそうだ。
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