「殺してほしかった」、8年間で110名超…刑期終えた出所者支援を"何度裏切られても"続けなければいけない理由

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表からは自己犠牲にしか見えない行動は、自己満足に支えられていたのだ。「他人のため」と「自分のため」は、しっかりとイコールでつながっていた。

千葉さん
この活動はあくまで自己満足でやっていると語る千葉さん(筆者撮影)

遺族の許し

千葉さんのもとを訪れたのは、2月23日。事故があったのは、24年前の2月22日だった。

「昨日は命日だったので、遺族のところにあいさつに行きましたよ。月命日には、欠かさず墓参りにも行っています」

当時、遺族に事故の状況を伝えようとしても、「そんな言い訳は聞きたくありません」と返された。1年ほどは何も言葉を交わさず、ただ線香をあげて仏壇に手を合わせ続けた。

保険会社が代行した民事裁判では、遺族が「息子の命がこれぐらいの価値なのか」とショックを受けていたことを伝え聞いた。

それでも月命日には線香をあげるため、毎月自宅を訪れ続けた。そして7年が経過したころ、友人の父親からようやく声をかけてもらったという。

「もう来なくて大丈夫です。千葉君の誠意は、よくわかったから」

「この仕事に就くことを報告したときには、喜んでくれたのを覚えていますね」

今では時折会って近況報告をするようになった。だからといって、遺族の苦しみが終わったわけではない。加害者は生き直すことができても、被害者は二度と生き返らないのだから。

それでも、自分の息子の死の責任を背負ってその友人が自分の人生を捨てて生きることを、遺族は望むだろうか。

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