【2年連続MLB開幕投手へ】高校時代の恩師が語る、山本由伸がここまで大成した「シンプルな理由」

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「高校時代の彼から今の姿を想像できた人は、いないと思います。由伸をプロに送り出すとき、私は『オリックスで息の長いプロ野球選手になれるといいね』と伝えた記憶があります。まさかWBCで活躍するとか、メジャーに行くとか、想像できませんでした」

藤川のドラフト指名直後、山本から森松の元へLINEが届いた。

「いい球団に指名されてよかったですね。オリックスはいい球団ですから」

熊本県出身の森松は、高校時代は鹿児島の名門・鹿児島実業でプレーしている。同期には本多雄一(元ソフトバンク)がいた。森松は投手としてプレーしたものの、エースとはほど遠い存在だったという。

「ベンチには2回ほど入れてもらいましたが、下積みが長かったです。鹿実での経験は、間違いなく私の指導の原点になっています」

指導者を志し、城西大ではマネージャーに転身。その後は広島の瀬戸内で監督を経験。さらに「栄養指導を含めて野球を勉強したい」と埼玉の名門・浦和学院の門を叩いた。

続いて岡山の作陽でもコーチを歴任。そんな折、高校時代の恩師である久保克之から「そろそろ九州に帰ってこい」と声をかけられた。

「この子と野球がやりたいな」という直感

用意されていたのは、都城の指導者のポストだった。都城は1984年春に甲子園ベスト4に進出するなど、春夏合わせて甲子園出場9回の強豪。OBには「ミスター・ファイターズ」と呼ばれ、名球会入りを果たした田中幸雄(元日本ハム)がいる。

しかし、都城に赴任した森松は、その惨状に愕然とした。

「部員は14~15人しかいないし、練習前の誰もいないグラウンドにボールが15球くらい放置されていました。『本当にこれが都城か?』と驚きました」

学校側からは、勝利以前の部分を求められていた。

「野球に対する取り組み方や礼儀を教えてほしいと。私が鹿実OBだったこともあって、そういう部分を求められたのでしょうね」

14年から監督に就任することが決まり、古豪復活のためスカウト活動に勤しむなかで、東岡山ボーイズに顔を出した。会長の藤岡末良は作陽コーチ時代から縁があり、森松のことを何かと目をかけてくれていた。

藤岡は山本のブルペン投球を見た森松が、「宮崎に連れて帰りたい」と絶賛したと述懐しているが、森松の記憶はやや異なる。

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