「絶対ここで決める!」
路地裏のアパートで近所迷惑など考えず叫んだのは、2010年4月のことだ。いつしか上京から3年あまりが経過し、婚活歴も2年になろうとしていた。
この日出会った人は、これまでとはまったく感触が違った。なんとしてもこのチャンスをものにしなければならないと思った。
プレッシャーはあったけれども、それからの半年は自分でもびっくりするほど順調だった。10月には新居が決まり、私は不動産屋に解約の連絡を入れた。妻にはとても見せられないようなゴミ屋敷だったので退去の際には母に来てもらい、呆れられながら掃除を済ませ、私は船堀を後にした。
下積み時代を支えてくれた街に感謝
「やっぱ、ええとこやな」
15年ぶりに船堀駅に降り立った私は思った。スーパーの店名が変わっていたり、牛丼チェーンが店を出していたりと、一目でわかる変化はいくつもあったけれども、雰囲気は独身時代と同じだった。
駅周辺をぶらぶらした後、少し歩いてあの路地へと向かう。「あけぼの湯」は残念ながら閉店していたが、看板や煙突はまだ残っていた。他も見覚えのある建物ばかりで、ガチャマシーンが並ぶ例の店も健在だった。
あの頃を振り返ると、我ながらよく持ちこたえたものだと思う。東京に出てきたばかりの頃は何もかもが初めてで、信頼できる友人もいなかった。長い苦闘の末にかなえた夢だったからモチベーションは高かったけれども、心身が削られる感じは常にあった。ちょっとしたきっかけで会社に行けなくなったとしても、まったく不思議ではなかったのではないか。実際、そんな同僚は何人もいたのだ。
その一方で、最初の3~4年で習得したスキルが私の血肉となっているのも確かである。クリエイティブ業界に20年近く身を置き、フリーランスのライターとなった今も、しばしば実感することだ。すなわち、しぶとく働き続けたことには、大きな価値があったのだ。
そう考えると、居住地として船堀を選んだのはファインプレーだったのではないかという気がしてくる。この街の利便性が暮らしの負荷を最小限にしてくれたのは間違いないし、疲労困憊の夜も憂鬱な朝も、おおらかな下町の空気に触れることができた。それによって気分が楽になった一面は少なからずあっただろう。
下積み時代がなければ、今の私はない。だから、当時の私を支えてくれた船堀という街には、ただただ感謝するばかりである。
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