「東京? 山手線の内側しか知らん」 氷河期世代で就活に苦戦→念願の上京果たした27歳男性の「下積みを支えてくれた街」

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「絶対ここで決める!」

路地裏のアパートで近所迷惑など考えず叫んだのは、2010年4月のことだ。いつしか上京から3年あまりが経過し、婚活歴も2年になろうとしていた。

この日出会った人は、これまでとはまったく感触が違った。なんとしてもこのチャンスをものにしなければならないと思った。

プレッシャーはあったけれども、それからの半年は自分でもびっくりするほど順調だった。10月には新居が決まり、私は不動産屋に解約の連絡を入れた。妻にはとても見せられないようなゴミ屋敷だったので退去の際には母に来てもらい、呆れられながら掃除を済ませ、私は船堀を後にした。

船堀
アパートの裏側を流れる新川。ゴミ捨て場がこちら側にあったのだが、広大なロフトをフル活用していたため、こちらを訪れる頻度は低かった(画像:筆者撮影)

下積み時代を支えてくれた街に感謝

「やっぱ、ええとこやな」

15年ぶりに船堀駅に降り立った私は思った。スーパーの店名が変わっていたり、牛丼チェーンが店を出していたりと、一目でわかる変化はいくつもあったけれども、雰囲気は独身時代と同じだった。

駅周辺をぶらぶらした後、少し歩いてあの路地へと向かう。「あけぼの湯」は残念ながら閉店していたが、看板や煙突はまだ残っていた。他も見覚えのある建物ばかりで、ガチャマシーンが並ぶ例の店も健在だった。

船堀
「あけぼの湯」のエントランスとレトロな町会会館(画像:筆者撮影)

あの頃を振り返ると、我ながらよく持ちこたえたものだと思う。東京に出てきたばかりの頃は何もかもが初めてで、信頼できる友人もいなかった。長い苦闘の末にかなえた夢だったからモチベーションは高かったけれども、心身が削られる感じは常にあった。ちょっとしたきっかけで会社に行けなくなったとしても、まったく不思議ではなかったのではないか。実際、そんな同僚は何人もいたのだ。

その一方で、最初の3~4年で習得したスキルが私の血肉となっているのも確かである。クリエイティブ業界に20年近く身を置き、フリーランスのライターとなった今も、しばしば実感することだ。すなわち、しぶとく働き続けたことには、大きな価値があったのだ。

そう考えると、居住地として船堀を選んだのはファインプレーだったのではないかという気がしてくる。この街の利便性が暮らしの負荷を最小限にしてくれたのは間違いないし、疲労困憊の夜も憂鬱な朝も、おおらかな下町の空気に触れることができた。それによって気分が楽になった一面は少なからずあっただろう。

下積み時代がなければ、今の私はない。だから、当時の私を支えてくれた船堀という街には、ただただ感謝するばかりである。

【もっと読む】「山手線の内側は気軽に住めるところではない」 京都の大学生が上京、東京の家賃相場に圧倒されながら選んだ「いろんな顔を持つ街」の"実態" では、千歳船橋を著述家・偉人研究家の真山知幸さんが久しぶりに探訪。豊富な写真とともに、その魅力を詳細に解説している。
勢田 朋来 ライター、編集者

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せた ともき / Tomoki Seta

奈良県出身、神戸大学卒。編集プロダクション、広告代理店などを経て、2025年10月よりフリーランス。会社員生活が長く、ノンジャンルで幅広い分野の取材・執筆。地方取材も多く、これまで35都道府県を取材で訪れた経験を持つ。

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