「東京? 山手線の内側しか知らん」 氷河期世代で就活に苦戦→念願の上京果たした27歳男性の「下積みを支えてくれた街」

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子どもが多かったことも印象に残っている。当時の江戸川区の出生率は23区の中ではトップクラスで、船堀にも区立小学校が2つあり、土日に外出すると集団で遊ぶ小学生の姿をよく見かけた。彼らの多くはベッドタウンの住人なのだろうが、下町ゾーンがいい遊び場になっていたのではないだろうか。

船堀小学校のすぐ近くには、店先にガチャマシーンが並び、中では駄菓子やゲームソフトを販売するという奇妙な店があった。古書やCDも少し置いていて、奥には18禁のコーナーも設けられていた。おそらく、この業態が船堀という街の需要にマッチしていたのだろう。

加えて、趣味を楽しむうえでも船堀はいい立地だった。東京に出てきてから競馬にはまり、土日はほぼ毎週馬券を買っていたのだが、ここに住んでいると現地観戦がしやすいのだ。中山競馬場は物理的に距離が近く、都営新宿線が京王線に直通しているので東京競馬場にも行きやすい。そのため、仕事に余裕があるときはしょっちゅう競馬場を訪れていた。

船堀
メインストリートの船堀街道。それなりに緑地があるのも田舎育ちの私には魅力的だった(画像:筆者撮影)

過酷な仕事に耐えかねてネット婚活を始める

ただし、仕事に余裕がある時期はけっして多くなかった。休みが取れるかどうかは担当している案件の進捗に左右され、締め切りが迫ってくると土日もほとんど出社していたのだ。当時は働き方改革というような言葉もなく、所属していた編集プロダクションではそれが当たり前だった。

「このままやったらやばいな……」

そう思い始めるまでに時間はかからなかった。とはいえ地元に帰る気もなく、環境を改善する具体策があるわけでもなかった。そんな状況下で結婚願望が急速に高まり、当時はまだ黎明期だったネット婚活に注力するようになる。

船堀を選んで住みついた1年後には、結婚して船堀を脱出することが最大の目標になっていた。しかし、合いそうな女性にアプローチしても9割以上は書類選考で落とされ、連絡先を入手してもメールのやり取りが突然止まったり、他の男に先を越されたり。苦戦ぶりは就職活動と五十歩百歩だった。

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