学校の裁量で授業を増減できる「調整授業時数制度」導入へ、柔軟化は重荷にも?問われるのは組織の成熟度
「ごんぎつね、もう終わりました?」
小学校の職員室では、こんな会話がよく聞かれます。「ごんぎつね」は小学校国語の代表的な文学教材です。多くの教科書に掲載されているため、同じ時期に授業が行われることも多く、進度を確かめる会話として自然に出てきます。
しかし、この会話を聞くたびに、私は大きな違和感を覚えます。本来問われるべきなのは、その教材を通して子どもが何を感じ、何を考え、どんな力が育ったかのはずです。ところが現場では、「その教材が終わったかどうか」が話題になります。
算数でも同じです。「掛け算は終わりましたか」「もう終わりました」。体育でも「サッカー終わりました」という会話になります。
つまり授業は、何を学んだかではなく、どこまで終わったかで語られがちなのです。
「履修したか」が問われる学校
こうした会話が生まれる背景には、日本の学校教育の構造があります。学校では長く、「教科書を一通り学んだか」「授業時数を消化したか」という2つの基準が強く意識されてきました。いわば、教科書履修主義、授業時数消化主義とも言える状態です。
しかし本来問われるべきなのは、どんな力が身についたか、その学びがどれだけ深まったかという点のはずです。ところが現場では、教科書が終わったか、授業時数を満たしたかが強く意識されます。その結果、授業は「学び」よりも「進度」を優先する形になりやすくなります。
ここにはもう1つの問題があります。学校で行われる多くの指導は、必ずしも子どもの学びそのもののために行われているとは限りません。むしろ、大人の安心のために行われている場合も少なくありません。




















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