第2の軸は、英米関係の行方である。この軸を理解するには、スターマー首相の立場のぶれを時系列で追う必要がある。
実は「ぶれ」は攻撃開始よりも前から始まっていた。英タイムズ紙は「スターマー首相がアメリカの要請を拒否している」と報じていた。要請とは、英国が管理する二つの軍事基地(インド洋の離島ディエゴガルシアと、イングランド西部グロスターシャーにある英空軍フェアフォード)をイラン攻撃の発進拠点として使わせてほしいというものだった。
どちらもアメリカの大型爆撃機が使用できる数少ない海外基地であり、戦略的に極めて重要な拠点だ。同盟国アメリカからの要請を、スターマー首相は「ノー」と言ったのである。
攻撃開始当日の2月28日、スターマー首相はダウニング街で「英国は最初の攻撃には参加していない。これは意図的な決断だ。最善の解決策は交渉による和平というのが英国の一貫した立場だ」と明言し、「イラクの教訓を我々は学んでいる」と強調した。
2003年のイラク戦争で当時のブレア首相がアメリカに追随し、大量破壊兵器をめぐる根拠薄弱な法的正当性のもとで参戦、その後の戦争の泥沼化と多大な人的損失が深い傷を残した。その苦い記憶を指しての言葉だ。






















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