イラン最高指導者ハメネイ師が死亡、30年余り権力掌握し西側と対峙

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

自らの指導や自らが築いたイスラム体制に対する抗議を抑圧するためには、権限の行使も辞さなかった。女性の権利や市民的自由を巡る自らの見解に対する反発に対しても容赦なく対応し、権力維持のために数百人の民間人を殺害することもいとわない指導者との印象を決定づけた。

ハメネイ師は中東において、イスラエルと徹底的に敵対するとともに、地域に影響を及ぼそうとする米国の試みに断固として抵抗する立場を明確にした。

米国がイラン政治に干渉してきた歴史や、自身を投獄した王政を支援してきたことに根差す米国への深い不信と軽蔑を、常にイラン政治の前面に押し出してきた。また、イスラエルのことを「がん腫瘍」と表現し、その破壊を繰り返し呼びかけた。

ホメイニ師の下で学ぶ

ハメネイ師は1939年7月17日、北東部マシュハドにある一室のみの住居で、宗教学者の子として生まれた。19歳でシーア派神学の中心地コムに移り、のちに1979年の革命で成立したイラン・イスラム共和国の初代最高指導者となるホメイニ師の下で学んだ。

米国の支援を受けていたパーレビ国王(当時)の打倒を目指す地下運動に加わり、たびたび逮捕・拷問され、国内で3年間の流刑生活を送った。

1979年の革命後、テヘランの金曜礼拝を主導する役職に就任。2年後の暗殺未遂で右腕に障害を負ったが、数カ月後にはイランで選挙によって選ばれる最高位の公職である大統領に就いた。

常に保守的ではあったが、政界入り当初はパイプをくゆらせ、詩や小説に関心を持つ物静かな聖職者だった。妻との間に6人の子をもうけ、音楽家や世俗的な知識人とも交友関係を築いた。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事