「耳をダンボにする」という死語はさておき、電話での会話が生々しいという感覚は、今ならより共感を得られるのではないだろうか。「急速に普及しはじめたファクシミリや留守番電話」は下火になり、昨今はメールが主流になった。同じエッセイで、ネットの言葉については以下のように書いている。
25年前に考えていたこと
パソコン通信上で交わされている言葉を観察すると、書き言葉と話し言葉とが、限りなく近づいてきているなあと思うことがある。特に、リアルタイムのチャットといわれるおしゃべりなどがそうだ。「あ、○○さんがきた!」「もう、そろそろ寝よっと」「そうそう、このまえ話題になってた○○のことなんだけど」といった具合。言文一致の新しい局面、といったら大げさだろうか。
いっぽうで、お互いの意見やメッセージを書き込む掲示板のようなスタイルの場では、やわらかめの書き言葉が多い。そこに文章を書いている人は、文筆を仕事にしているわけではなく(なかには文筆業の人もいるが)ごく一般の人たちだ。
そういった人たちが、これほどまでに頻繁に、しかもなかば公に向かって、ものを書くということをした時代が、かつてあっただろうか? パソコンという道具を手に入れることによって、「ものを書く」という時間が、人々のあいだで急速に増えているように思う。そういう意味では、書き言葉としての日本語が、一部の人のものから多くの人のものへと開放されたとも言えるだろう。
もちろん、そのためにさまざまな問題もおこっている。ルールやマナーを無視した、人を傷つけたりする、無責任な書き込み。誰もが発言、発信できるという素晴らしさの陰には、誰もが発言、発信できるという恐ろしさがある。
新聞の投書の場合には、採用か否かというふるいがかけられるが、パソコン通信の場合には、それがない。明らかにひどいものを、事前にチェックする機能はあるものの、あとは個人の良識にまかされている。こういう便利で素晴らしい道具を手に入れたことをきっかけに、普通の人が普通に使う書き言葉としての日本語の、足腰が鍛えられなくては、と思う。
書き言葉と話し言葉は、いっそう近づいてきている。ネットのメリットとデメリットについては、25年前も今もほとんど変わらないと感じる。そして「ルールやマナーを無視した、人を傷つけたりする、無責任な書き込み」が、社会の大きな問題に育ってしまった25年でもあった。
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たわら まち / Machi Tawara
1962年大阪府生まれ。歌人。早稲田大学第一文学部卒業。学生時代に佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。1988年に現代歌人協会賞、2021年に迢空賞を受賞。『サラダ記念日』『愛する源氏物語』『未来のサイズ』の他、歌集、評伝、エッセイなど著書多数。
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